デラシネ

『デラシネ【original】』 
著:青樹凛音 イラスト:かんぱらつりぃ 本体価格:450円 レーベル:詠月文庫

【冒頭試し読み】

目次

前編
後編

 1

「芸術系のサークルには入らなかった」
 ――最後に彼女と会話をしたのは駅前のカフェだった。
 グラスのアイス珈琲は苦くて、氷が涼しい音を僅かに立てる。
 俺は目を少し斜めに向けていた。
 店内には注文を待っている女性、レジ前には絵本が置かれている。
「これからは「美術とはまた違った方向」に行くと思う」
 その言葉を言う時に今まで情熱を持って取り組んでいた「美術」が終わったような気がして、少しの悲しさや寂しさがあった。それでも感情的に不安定になることはなく、気分はローで安定している、5月の半ばだった。

『それでも何かはやっているんだろう』
 目の前に座っている彼女が励ますように聞いてくる。
 切り揃った紺色の髪は大人色なのに子供っぽく、背丈は小さいのに心がしっかりしている。その凛とした振る舞いが好きだった。
「今、俺が居るのは、同人誌とか作るサークルだよ」
 それを聞いて彼女は俺が落ち込んでいると感じたのかエールを。
「何も、美大だけが全てじゃないぞ。その「同人誌」だって突き詰めればそのうち「美術」に昇華されるかもしれない」
 そう言って落ち込んでいた俺を慰める。
「まあ、それは正論なんだけど」
 どうしたって「割り切れない感情」はあった。
 それでも国立美大に行けなかった時点で切り替えないといけない、これから俺は「違う目標」を持って、自分が自分としてしっかり立てるように。ただ、そういう感情を今の彼女に言っても、俺が辛くなるだけだから言わない。

 ――俺は彼女が「一条 葵」が好きだったんだ。
 俺が「国立美大」に合格したら告白しようと思ったくらいに。
 彼女に憧れていたんだ。高校の時からずっと秘めていた想いを伝えるには、俺はあまりにも情けなくて結局は言えなかったんだ。
「まあ、もしも辛くなったら話くらいは聞いてやる」
 彼女はそう言って俺を励ましてくれる。
「わざわざ、ご高説ありがとうな」
 アイス珈琲を飲み終えて「もう行こう」と彼女と一緒に店を出た。
 その後の記憶は曖昧なのか覚えていないようだ。
 彼女が現役で美大生になって、俺が二流大学に入った大学一年生の時の記憶。それ以降はそれぞれに散っていって、今ではもうほとんど会っていない。俺の方が「胸を張って会えない」と感じたからだった。
 その時の俺はとても純情だったのだろう。

 ・・・・・・・・・・

 目を開けると薄暗い部屋の中だった。
 6畳のフローリングのアパートの一室に居る。
「また、あの時の夢か……夢だよな」
 上体を起こしてから、再び湿った布団の上に倒れて。
「まだ夢に見るなんてな、あれから一年以上経っているのに」
 この部屋は「最低な楽園」だった。
 空き缶、コンビニ弁当の容器は透明なゴミ袋に。
 床に置かれた「VIPP」は二十歳を過ぎてから興味本位で手を出して、今では俺の一番のお気に入りの嗜好品となっている。リキッドは特別良いものを吸っているわけではなく、何時もダンキホーテで買っている。

「青樹 知哉」は二流大学に居るやる気のない大学生。
 大学の誰も知らないけれど「トモチカ」と読む。トモヤと言われてもわざわざ「違います」と言うだけの生真面目さも今はない。そんなことは俺にとってはどうでもいい、どうでもいいと思う相手に名前を間違えられることくらいは。
 ボサボサの髪をかきながら全身鏡に映った自分の姿を見る。赤く髪を染めて、服装も何時の間にか雑におしゃれになっていく、田舎のヤンキーみたいな好みだけど。もう20台になった事実に少しビビる。

 俺は夢の中に出てきた葵のことを思っていた。
「あいつは今頃、何してんのかね……」
 未だに夢に出てくるということは俺はまだ意識しているのか。
「やっぱ、まだ引きずってんのねかね」
 美大へ行けなかったことや色々な感情を。
 それは否定しきれない感情は確かにある。
「そりゃあ好きにもなるさ、田舎の少ない人数の高校で3年間同じ美術部だった、可愛くて聡明な女の子がずっといたら、誰だって」

 ・・・・・・・・・・

 ボロいアパート、でも不自由はない。
 無意味に過ぎていく夜を繰り返して行くことにも慣れた。
 大学生活も一年以上が過ぎた、俺は都内の二流大学に在籍している。
 大学のサークルなり何なりで絵を続けている。
 オールマイティーな才能があったらしく、俺は今は「あおき大王」と言う馬鹿みたいなPNでイラストレーターとして活動している。
 恋人みたいな関係の女性なんて居ない。
 恋愛は「出来ればいい」と思うけれど「合コンに出てどうこう」とか、そういう気力はもとの性格的にないらしくて。愛だの恋だのに憧れがなかった。あったものは「クリエイティブなことをしたい」と言う気持ちだけ。
「それも、美術とは外れたけどな」
 どちらかと言うとサブカル的な。
 望む望まずとも、自然とそういう方向へ行った。
 美大へ行けなかったから「もう美術は無理だ」と諦めてしまった。
「「ステップアップ出来ないこと」は自然と諦めるしかないよな。その点こういうサブカル的なものは経歴を問わずに、上へと上がれる可能性を僅かでも残してくれるから。やっぱ外れたらこっちへ流れてくるよな」

 国立美大に落ちた当時は辛かったし痛かった。
 国立美大を受けることを反対していた両親から与えられたチャンスは「現役合格」だけだった。美大卒業したとして美術でどう食っていくのか、俺が見えていなかったからその甘さを指摘されたためだ。

 落ちた時は、死のうと思いつめていたのに、今では痛みはない。
 こうして夢に出てきて考えることはあるけれど。
 そういう時に絵を描くと心が均されていく。どうしようもないことに対して「柔らかい諦めにも似た癒やし」があるからだ。だから俺は毎日のように絵を描く、それが「ライフワーク」になることは自然な流れだった。
 突き刺すような情熱は失ったのかもしれないけれど。
 余熱のように冷め切らない向上心は今も残っているからゆったり成長はしている。

 2

「俺、珈琲飲みに行って来ていい?」
 狭いテーブル、パイプ椅子で座り続けることは疲れる。
 この「文楽フリマ」とか言うイベントは「コミケの小説版」と言うべきイベントだ。その規模自体は小さく、東京では二階建てのホールで年二回ひっそりと行われている。長机とパイプ椅子が並び、そこに同人誌が並ぶ。
 賑いはそれほどでもなくてマイナーなイベントに含まれる。
 知名度のなさもそうなのだが、開催時期も悪い。
 大型連休に合わせる傾向で「他のイベント」と重なってしまう。
 どちらを取るかで大手イベントへ流れてしまい、文楽フリマに来る客足が限られてしまう。この前から参加しているけれど20冊売れれば御の字だ。
「いえ、ここが勝負時だから行かないでください」
 俺の隣に居るチェックのシャツの男は「中野 明光」という。
少し丸くて、眼鏡をかけている。
 見方によると「かっこ良い」角度もある。
 文芸サークルに居ると言うわけじゃくて、アニ研なのだが小説を描いているらしい。何で小説なのか初めは分からなかったけれど、どうやら「小説なら素人でも作れる」と言う理由で本当はイラストやアニメに憧れている。
 そう気付いたのは今年になってから。
 大学で同じサークル、と言うか中野の勧誘で俺がアニ研に入った。

 俺はイラスト一枚「8000円」から依頼を受け付けている。
 改めて本を見て今回は俺のイラストが表紙を飾っているが、別に何とも思わなくて「詰まんないな」と感じながらパイプ椅子に座っている。
「高すぎんじゃないの、一冊600円なんて」
 その言葉に中野が少し不機嫌になった。
「本作るのにはそれだけかかるんですよ、イラストも8000円かかってるし、参加料は6000円、配送料。それに原価で売るわけにもいかないんです」
「なんで原価あたりで売れないのよ?」
「作者の労働力にも対価が支払われる世の中になるべきなんです」
 俺は「こんなんでよく言う」と苦笑いしながら目を逸らして、会場全体を見渡す。立ち止まってくれる客はほんのひと握りだ。俺としてはあちらにある「クレミド珈琲」でずっと珈琲飲んでいたいのだけど。
 同人誌を手にとって大きな声で嫌味を言ってみる。
「しかし本当に売れないよなー」

 ・・・・・・・・・・

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