『ワンコが我が家にやってきた』

著:高槻弘壱 価格:400円  レーベル:詠月文庫

【冒頭試し読み】

目次

ワンコが我が家にやってきた

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ワンコが我が家にやってきた

 お祖母ちゃんが亡くなってからもうすぐ三年になる。お祖父ちゃんは大丈夫だからと口癖のように言っているけれど、元気が無さそうだ。
 孫の僕ももう小学校五年生で、お祖父ちゃんと一緒に遊ぶことが随分減っていた。お父さんは仕事で毎晩帰りが遅い。会社の人たちと一緒にお酒を飲んで帰って来ることも多い。お母さんはお祖父ちゃんが一人きりで呆けてしまうのではと心配するようになった。
 喧嘩はしていたけれど、家族の仲は良かった。
 お父さんは会社から酔って帰って来ると、突然「犬を飼うから」とだけ告げた。僕は嬉しかった。犬は大好きだ。それまで動物を飼った経験も無かったから余計に喜んだ。
 犬は躾とか世話が大変そうな気もする。でも、犬を飼うことになれば、ひょっとしたら家の中がこれまでよりも明るくなるんじゃないかとも思った。
 けれど、犬はペットショップで買ってくるんじゃなくて、インターネットで里親を募集しているゴールデンレトリバーの子犬を貰うからとお父さんは言って、そのまま眠ってしまった。
 翌朝、会社が休みのお父さんに連れられて、僕は車で埼玉県まで出かけた。何故ゴールデンレトリバーを飼うことにしたのか聞くと、お父さんは「可愛いからに決まってるだろう」とだけ教えてくれた。
 施設に着くと、数多くの種類の子犬たちがケージの中でキャンキャンと吠えていた。どの子犬も可愛く見える。でも、お父さんは予め施設の人に連絡を取ってあったのか、すぐに子犬のゴールデンレトリバーを紹介された。
 まだ、生後三か月だと言われた。抱かせてもらうと、とても小さくて震えている。僕はそっと子犬の頭を撫でた。
 手続きが済むと、神保町の我が家までお父さんは途中休むことなく車を走らせた。僕は子犬の名前が気になっていた。何て呼べばいいのかわからない。ケージの中で子犬は吠えることもなくおとなしくしている。
「今日からこの子の名前はラッキーだ。いいな、純一」
 お父さんはハンドルを握りながらそう呟いた。僕はケージから子犬を取り出すと
「ラッキー、いい子だね」
 と頭を撫でた。
 ラッキーは屈託のない顔で僕の手を舐めて来た。犬は前から好きだったけれど、こんなに可愛いなんて思ってもみなかった。しかもこれからはずっと一緒に居られる。僕はラッキーを抱いて、ずっと頭を撫で続けた。
 神保町の家に着くとお父さんはラッキーを一階のリビングに放した。ゴールデンレトリバーは家の外で飼うのではなく、部屋の中で一緒に過ごすのが良いらしい。まだ、身体の小さいラッキーだけれど、嬉しそうに部屋の中を飛び跳ねている。お母さんは水とドッグフードを用意していてくれた。
「ラッキー、ごはんよ」
 お母さんがお皿を床に置くと、ラッキーはお腹が減っていたのかドッグフードをあっと言う間に平らげた。そして、水を美味しそうに飲んでいる。
 お祖父ちゃんはラッキーに興味が無いのか新聞を読んでばかりいた。何故急にお父さんが犬を飼うと言い出したのか不思議だった。それまで我が家では動物を飼ったことがなかったからだ。前に犬が欲しいとねだったことがある。その時にはお父さんは許してくれなかった。お腹が一杯になったのかラッキーはタオルにくるまって眠ってしまった。
「純一、お前、ゴムボールを持ってないか。ラッキーの玩具にするから探して来い」
 二階の部屋から赤いゴムボールを取ってきた。いつも近所の友達と公園で野球をするときに使っているボールだ。これならラッキーが怪我をする心配もない。まだ、ラッキーはお昼寝の最中だった。
「弘、お前は犬を飼ったことも無いのに世話はきちんとできるのか」
 お祖父ちゃんが新聞を畳むと、眠っているラッキーのそばに近寄った。しゃがんで寝顔を覗いている。お父さんは何も返事をしなかった。
 その時、何故急に犬を飼うことにしたのか僕には何となくわかった気がした。お祖父ちゃんは眠っているラッキーの頭を「どれどれ」とそっと撫でている。僕はお祖父ちゃんの横に座ってラッキーの寝顔をカメラで撮影した。
「僕、毎日、ラッキーの写真を撮るよ」
 お父さんもお祖父ちゃんも黙ったままだった。お母さんは台所で洗い物をしている。写真は余計なことだったのかなと思ったけれど、僕はカメラが好きだし、ラッキーのことも大好きだ。決めたことは毎日続けてみよう。お父さんだって一度始めたことは最後までやり通せって言っているからだ。
 とにかく、こうしてワンコが我が家にやって来た。
 ラッキーのおかげでお祖父ちゃんも目を細めている。こんなに可愛い子犬が家族に仲間入りしたのだから皆が嬉しいに決まっている。
「施設できちんと躾されていた犬だから行儀が良いな。それにゴールデンレトリバーは犬の中でも賢い。ただ、寂しがるらしい。純一は学校から帰ったら毎日ラッキーと遊んでやれよ」
 お父さんに言われなくてもそのつもりだ。僕は大きく何度も頷いた。ラッキーの寝顔は天使のように見えた。
 夕食後、僕はお父さんとラッキーと一緒に風呂に入った。シャワーでお湯をかけてあげるとラッキーは珍しくキャンキャンと吠えた。お父さんは石鹸でラッキーの身体を洗ってあげた。シャワーで石鹸の泡を洗い流す。そしてお湯を張ったたらいの中にラッキーを入れてあげると嬉しそうに犬かきをした。
「水遊びが好きらしい。それと明日からは毎日散歩にも連れて行ってあげないと。お祖父ちゃんと一緒に散歩に連れて行ってやるんだ」
 お父さんは額の汗をタオルで拭いながら呟いた。風呂から出ると、お父さんはラッキーの濡れた身体をドライヤーで乾かした。僕は黙ったまま、お父さんの世話の仕方を覚えた。ブラッシングで毛並みが整うと、ラッキーは嬉しそうにゴムボールを追いかけた。一階のリビングは広いし、ラッキーがまだ小さいから良いけれど、ゴールデンレトリバーはいずれ大きくなる。それぐらいは僕でも知っていた。
「そろそろラッキーを眠らせてやる時間だ」
 お父さんはラッキーを抱きかかえて、トイレシートの上に乗せた。便意を催していないのか、ラッキーはなかなかおしっこをしない。お父さんはラッキーのお尻の辺りを擦っている。それでおしっこをしたがるのか僕は固唾を呑んで見守った。お父さんの顔も真剣だ。きっとお父さんも初めてのことなのだと思う。
 しばらくしてラッキーはおしっこをした。これで僕も安心して眠れる。僕は二階の自分の部屋ではなくラッキーと一緒に眠りたいと言ったけれど、お父さんは許してくれなかった。夜中に僕がラッキーを触って起こしてしまったらかわいそうだからという理由だった。
 確かに僕はラッキーと一緒に布団の中で眠りたいと思っていた。見透かされてしまっていたので素直に諦めた。お父さんがラッキーをケージの中に入れた。
 僕は「ラッキー、お休み」と頭を撫でた。

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