万葉集の中の女性たち3

『万葉集の中の女性たち 第三巻』

著:横尾湖衣 イラスト:E缶 価格:350円  レーベル:夕霧徒然双紙

【冒頭試し読み】

第十章 石川郎女《いしかわのいらつめ》

  第一節 石川郎女について

 大和、奈良時代の女性。『万葉集』の中には石川郎女という表記の他に、石川女郎、石川内命婦《いしかわのうちのみょうぶ》、内命婦石川朝臣《うちのみょうぶいしかわのあそみ》などという表記が見られます。また、大名児、山田郎女の字も伝えられています。
 右に記したように『万葉集』の中には同名の女性が多数見えるということから、「石川郎女」複数説があります。しかし、これらすべての名が同一人物であるという説もあります。複数説が通説となっていますが、定説的な見解には至っていません。つまり、石川郎女は、よく分かっていない謎の女性なのです。

 表記について先に述べましたが、『万葉集』の研究では石川郎女に関係するものを便宜上次のように一~七に分けています。

 一、天智天皇標題下、久米禅師《くめのぜんじ》との贈答歌(巻二・相聞)
 二、藤原宮標題下、大津皇子《おおつのみこ》との相聞歌(巻二)
 三、同、草壁皇子《くさかべのみこ》(日並皇子《ひなみしのみこ》)からの贈歌(巻二・相聞)
 四、同、大伴田主《おおとものたぬし》との贈答歌(巻二・相聞)
 五、同、大伴宿奈麻呂《おおとものすくなまろ》への恋歌(巻二)
 六、佐保大伴の大家《おおとじ》(大伴安麻呂《おおとものやすまろ》の妻)である石川郎女の相聞歌(巻四)
天平八年(七三六)以前の作、雪を詠む応詔歌(巻二十)
 七、夫(藤原宿奈麻呂《ふじわらのすくなまろ》)に離別され非恨して作る歌(巻二十)

 一~七を見て、石川郎女がすべて同一人物であるとしますと、天智朝(在位六六八~六七二年)から天平宝字元年(七五七)の孝謙朝までなので、かなりの高齢で没したことになります。そして、恋多き女性だったという見方もできます。一~七のいずれが同一人物かにつきましては、歌の虚構性や物語性の捉え方や、年齢推定等によって異なってきます。
 実在したのは三人~五人であるとする説が有力なようですが、石川郎女を一言で表現するとしましたら、前にも述べましたがやはり「謎の女性」という一言に尽きます。
 それでは、第二節より石川郎女の歌とそれに関係する歌を、いくつか見ていきたいと思います。

  第二節 大津皇子との相聞歌

       大津皇子、石川郎女に贈りし御歌《みうた》一首
  一〇七 あしひきの山のしづくに妹《いも》待つとわれ立ち濡れぬ山のしづくに
       石川郎女、和《わ》し奉りし歌一首
  一〇八 我《あ》を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを

 大津皇子の一〇七歌は、「あなたを待って長い間たたずんでいたら、すっかり山の雫に濡れてしまいましたよ」という内容になります。その大津皇子の歌に対して、石川郎女の歌は「私を待って、あなたがお濡れになられたという、その山の雫になれたらよかったのに」と応じて詠まれた内容になっています。
 大津皇子の歌の「山のしづく」「吾立ち濡れぬ」という表現は、『万葉集の中の女性たち』の第二巻で取り上げた大伯皇女の一〇五歌の「暁露」「わが立ち濡れし」という表現に不思議なほど呼応しています。このことから、大津皇子事件の歌物語のための作品という説があります。しかし、大津皇子と大伯皇女は同母の姉弟であります。語句の発想が似ていてもおかしくはないかと思います。

 大津皇子の一〇七歌は、とても透明感がありみずみずしく、清純で直向きを感じます。それと同時に、淡さやはかなさも感じられてきます。人目をしのんで待っていたのに、待ちぼうけをにあったという内容ですが、愚痴などはなく爽やかに詠い上げています。
 それに比べ石川郎女の歌は、大津皇子の妻問いの歌の表現を巧みに取り込みながら表現されています。親しみのこもった女性らしい甘え、媚態を示しているように思われます。思われますが、男女の恋の贈答は男女の掛け合いの歌、つまり恋の駆け引きという側面があります。女歌の伝統から考えて見ますと、機知の働いたあしらい、しなやかで柔軟な拒否の歌として見ることができるのではないでしょうか。男性の求婚の歌に対し、女歌は基本拒否の歌を詠みます。
 つまり、大津皇子の妻問いの歌に対し石川郎女は反発し、一〇八歌はその切り返しの歌、拒否の歌なのではなかろうかということです。そう考えますと、石川郎女の歌は大津皇子の歌の表現を取り込んで、からかっている感じがします。歌としては拒否、それはあくまでも表面上、形式上の拒否です。素直に応じているようなしおらしい詠いぶり、石川郎女の実際の心は、気持ちはどうだったのでありましょうか。

        大津皇子の、窃《ひそ》かに石川女郎《いしかはのいらつめ》を婚《ま》きし時に、津守連通《つもりのむらじとほる》その事を占ひ露《あら》はせるに、皇子の御作《つく》りたまひし歌一首 未だ詳らかならず
  一〇九 大船《おほふね》の津守《つもり》の占《うら》に告《の》らむとはまさしく知りて我が二人寝し

 一〇九歌の歌意は、「(大船の)津守ごときの占いに現われるだろうとは、百も承知の上で私は二人で寝たのだ」です。
 「大船の」は、「津守」に掛かる枕詞です。「津守」とは、題詞に記されている津守連通という人物になります。『続日本紀《しょくにほんぎ》』の養老五年正月二十七日の条に、「陰陽の……、従五位下《じゆごいげ》津守連通」とその名があり賞賜されています。そのことから、津守連通は陰陽道の名手だったということが分かります。おそらく占いにも長けていたのでしょう。
 それにしても、大胆不敵で挑戦的な歌です。大津皇子のこの度胸と雄々しい詠いぶりに、情熱というものを感じてしまいます。

 石川郎女(女郎)と大津皇子の関係については、一〇九歌の大津皇子の歌から読み取ることができます。二人は共寝をする関係で、恋としては成就されているようです。しかし、一〇九歌の題詞を見ますと、その二人の逢瀬は密通であると記されています。その密通とは、次の第三節にて述べてさせていただきます。

(続きは製品版でお楽しみください)