『先見の薬師と、火灯しびとの水晶(前)』

著:忍足あすか イラスト:風街いと 価格:400円  レーベル:ペリドット文庫

 

【冒頭試し読み】

目次

序章
第一章 香具師と出来損ないの魔法使い
第二章 はじめの一歩
第三章 不撓不屈の勇者に捧ぐ
第四章 魔法使いの火
第五章 不明の霹靂

 

序章

その日、長かった冬がようやく終わりを告げた。
北の大国シルフィルドの北端に位置する町、トトでは、冬の終わりと春の到来を祝う花祭りを迎えてはじめて春になる。どんなに暖かい日が続いても、花祭りを迎えていなければまだ冬だ。今年は寒さの厳しい冬だったが、花祭りの数日前から一気に気温が上がった。
花祭りの日、町を行き交う人々の顔は一様に明るい。
家々の窓には早咲きの花が咲き乱れている。量に心許なさのある窓辺は、乾燥させた花を鮮やかに染色したものや、紙でつくった造花を盛っていた。何せ花祭りなのだ。
連日の晴天で煉瓦は乾いており、建物の外壁も、黒檀の窓枠も、舗装された道すら眩しいほどだった。
中央広場には町の商人だけでなく、行商人も多くいた。花祭りが行われる三日間、露店を出して商売をするのだ。祭り以上の稼ぎ時はない。
露店は町役場に届けを出して受理されれば、誰でも出店できる。店を営業しているわけでもない主婦だってケーキを提供できるし、流れ者の占い師も水晶を覗くことが許される。水が緩み、大気がやわらかくなる春は、誰も彼も浮かれ気味だ。
大道芸人が芸を披露して拍手を浴びる。子どもが母親に飴細工をねだり、丸太を立てただけの簡素な椅子に座った男たちが酒を飲み、採れたての卵を使ったオムレツと、搾りたてのミルクを売る屋台の呼び込みが響く。
めかし込んだ少女が花を売り、花を買った夫が妻の髪にそれを挿す。周りから冷やかしの声が上がる。
そんな賑やかな昼下がり。
明るい笑い声と、威勢のいい、けれどどこかやさしい呼び込みが絶えない広場の片隅に、メルディもちんまりと露店を開いていた。
王都で奮発して買った上等の黒い毛織物を煉瓦の上に直に広げ、そこに薬やら香具を並べている。薬はすべてメルディが調合したものだ。乾燥させただけの薬草も一緒に並べて、いつものように中央に香炉を置く。
香炉は賑やかしでしかない。メルディの私物で、非売品だ。
――君の持つものの価値を見出す者は、必ず立ち止まってくれるから。
そう言われ、譲り受けたものだった。露店を開く際には売りものと一緒に並べるといいとも言われ、メルディはきちんと守っている。ちなみに、今まで立ち止まってくれた者はひとりもいない。目に留めてもらったことすらなかった。
素材はメルディにもわからない。触れ心地や、軽く叩いてみたときの硬質な音から、陶器ではなく金属かなと思った程度だ。
色は白金。光の加減で虹色に輝くのが魅力的だった。
金や銀でないことだけは確かだが、銅や青銅とも違って見える。メルディがまったく知らない素材なのかもしれない。もしくは、単に勘違いしているか。
メルディの両てのひらに包める程度の大きさで、水瓶を極端に丸っこくしたようなかたちがかわいい。そこが気に入っている。
あらかじめ買っておいたサンドイッチの包みをほどいてかぶりつく。チーズと羊の塩漬け肉が入っていて少し塩辛い。一緒に挟まれている菜の花はほとんど彩としてしか作用していなかった。春の色だ。
フキノトウと卵のサンドイッチも買っておけばよかったな、とのんきな後悔をする。木の皮を円筒状にしたコップに入った山羊のミルクを飲んで、
「……平和だ……」
と、呟いた。
眠くなってくるほどだ。
湖畔の漣のようなやさしい喧騒がのどかな、よく晴れている暖かい昼下がりなんて、睡魔が蔓延る要因をきっちり満たしている。
本日の売り上げは、ぼちぼちといったところ。この近辺では珍しい黒髪が目立った上、花祭りという大きなお祭り効果のおかげで、良心価格のメルディの薬は結構な数が捌けた。やはり祭りはいい。人々の財布の口が緩む。
目が合った花売りの少女が、にっこり笑ってスカートを揺らす挨拶をしてくれた。メルディも笑顔で手を振って応える。すると、花売りの少女は年相応の顔をして、好奇心を隠さずに寄ってきた。
「{香具師|やし}なのね。何を売ってるひとなのかちょっと気になってたの」
言いながら、腕に提げている籠から一輪、丸い花弁が幾重にもなった淡い黄色の花を取り出す。
「お兄さん、お花はいかが? 黒い瞳が素敵ね。石炭が宝石だったら、きっとあなたの瞳みたいだわ」
わざわざ店の前まで来てくれたのに、買わないわけにはいかない。
「ありがとう。一輪もらうよ」
サンドイッチを傍らに置いて指を拭い、硬貨と花一輪を交換する。
「ちょっとこっち、耳貸して」
「なぁに?」
わからないふりをして、花売りの少女が笑いながら小さな耳を寄せてくる。髪が絡まってしまわないよう気をつけながら、買ったばかりの花を彼女の髪に挿した。
「よく似合うよ。僕が持ってるよりずっといい」
「ありがとう。大切にするわ。夜はまだ冷えるから、風邪に気をつけて」
再度スカートを揺らす挨拶をして、花売りの少女は軽やかに駆けていった。
残ったサンドイッチをもぐもぐしながら、残った品物の数を数える。
毛織物の上に並んでいた商売ものはずいぶんと減って、見た目に寂しい。特に露店では、品物は多すぎても少なすぎても客の足はなかなか止められない。
多すぎると買う価値のないものしか置いていないような雰囲気になってしまうし、少なすぎれば、いいものは既に出払ってしまっているように見える。
メルディは行商人としての経験はまだ五年にも満たないひよっこだが、どうすれば足を止めてもらえるのか、買ってもらえるのかという研究は怠っていない。並べる品物の数や配置、店じまいの間の見計らい方は、彼なりに身につけている。
それに、メルディが本当に買ってほしいのは、薬や香具ではなかった。
毛織物の上、客側から見て右側に、磨かれた円形の水晶がぽつぽつと四つ並べられている。どれも子どものてのひらに乗る大きさのものだ。
――今回も収穫なしか。
無理もない。ただの露店だ。説明を受けてまで、こんなわけのわからないものを買う客などいないだろう。薬や香具という実用的なものが隣にあるのだから、なおさらだ。
やはり商店に売り込みに行かなければならない。それが多分、いちばん手っ取り早く、確実な方法だった。

(続きは製品版でお楽しみください)