『冥府の王は恋を謳う2 王女の庭園』 著:桧崎マオ イラスト:松島りょお 価格:300円 レーベル:フリージア文庫

【冒頭試し読み】

目次

冥府の王は恋を謳う2 王女の庭園

===

 外務省からの客人を迎えての昼食会は、別フロアにあるペニンシュラ・スイートに場所を移して定刻通り十二時より開かれた。眼下に広がる街の眺望が一望できるクリスタルガラスの壁面から柔らかく射し込む明るい午後の陽射しは、重厚な色調で統一されたオリエンタル調のダイニングの雰囲気を、ふわりと和らげて包み込む。
「本日はお招きいただきまして、ありがとうございます」
「こちらこそ、お忙しい時間を裂いて足を運んでいただき、身に余る光栄です」
 お互いの国の言葉での軽い挨拶と握手を交わして、ブルーメンタール共和国の面々と昼食会に訪れた三名の外務省官僚とは飴色のダイニングテーブルを挟んで向かい合った。
 ブルーメンタール側はユリウス・アドラー元帥と、その副官のエルネスト・ヴィンクラー少将、そして日本駐在武官のヤーコフ・エーレンベルグ大佐が着座する。通訳者である四ノ宮歌恋はユリウスの左隣に、そして桐島千咲はヴィンクラーとエーレンベルグの間に、それぞれ着座した。駐在官として日本の滞在が数年に及ぶエーレンベルグは日本語が少し理解できるため、及ばない部分を桐島がフォローを入れる形となる。
 歌恋はユリウスとヴィンクラーを挟んで座る桐島の方を遠慮がちに見遣った。
「アドラー閣下の通訳は私に任せて、貴女は私の邪魔はしないでちょうだい」
 ユリウスの通訳は歌恋が務めること、そしてこの座席の配置についても事前の打ち合わせでヴィンクラーより言い渡されたのだが、それよりも先に桐島に釘を刺されていた歌恋は落ち着かない気持ちにさせられた。今この時も二言三言、ヴィンクラーと会話を交わしている桐島の犀利な横顔からは内心など歌恋には窺い知ることもできない。もっとも、仕事の内容に不満があるからと、それを態度に出すほど桐島は幼稚な女性でもないのだが。
 だが、歌恋の気詰まりもダイニングに運ばれてくる料理の前には霧散する。このペニンシュラ・スイートにはキッチンやパントリーが備え付けられており、ユリウスが本国から連れてきたという三ツ星シェフが腕を振るうには充分であった。オランデーズソースの添えられた茹でたホワイトアスパラガスの前菜に馬鈴薯のスープ、籠に盛られたライ麦パンの山―――食欲を大いに刺激する美味しそうな匂いに、身を乗りださんばかりの勢いで歌恋はダークブラウンの瞳を子供のように輝かせる。そんな歌恋の様子に、ユリウスは知らず知らずのうちに口許を微苦笑に緩ませた。
「フロイライン・シノミヤはブルーメンタールの近隣……ドイツに旅行をしたことは?」
 左隣からの思わぬ問い掛けに歌恋は慌てて其方を見遣った。隻眼の元帥と視線が出逢う。
「あっ、はい。少し前にゼミの卒業旅行で一週間くらいですがドイツに」
「我が国の歴史はドイツと縁深く、文化も多大な影響を受けている。料理も同様でね。貴女もドイツに旅行をしたことがあるのなら見たことのある料理かもしれないが、これらは伝統的なブルーメンタールの料理だ。皆さんのお口に合えばいいのだが―――お客人には、そう伝えて欲しい」
「はい!」
 外務省からの出席者はブルーメンタール共和国から一時帰国していた綾倉《あやくら》一等書記官と狩野《かのう》副理事官、そして南雲《なぐも》欧州局参事官の三名であったが、非公式の昼食会という建前上、会話は当たり障りのない内容で、表面上は和やかに進められた。
 歌恋と桐島のふたりは通訳者としての出番は殆どなかった。最初の方こそ相手の出方が解らなかったので、言われるがままに通訳をしていたふたりであったが、ブルーメンタール共和国の日本大使館に勤務する綾倉と狩野はもとより、南雲も周囲のドイツ語の会話に溶け込んでいるので、敢えての余計な手助けは必要なかった。
 馬鈴薯のスープを浸したライ麦パンを口に運びながら綾倉がユリウスに問いを向ける。
「お父上のディートリッヒ総統閣下のお身体の具合は如何ですか?」
「御陰様で順調に快復しております。その節は日本大使館から御丁寧なお見舞いを頂き、総統閣下共々、感謝の念に絶えません。改めて御礼を申し上げます」
「御礼などと……友好国として当然のことをしたまでです。ところで総統閣下の主治医はそちらのヴィンクラー少将の兄上だそうで。欧州でも五指に入る循環器専門の医師と、クラウディオ・ヴィンクラー氏のご高名は常々伺っております」
「光栄です」
 穏やかな微笑みを口許に刷いて軽く頭を下げたヴィンクラーであったが、内心では苦虫を噛む。そもそもディートリッヒ・アドラー総統が突然の発作を起こしたのは公式の席上であったため、病に倒れた事実は隠しようもなかったのだが、病名や治療については正式な発表を控えているのである。綾倉書記官の言ったことは各国大使館の情報収集力を以てすれば容易く得られる類の情報ではあるし、それについてはさして驚くほどのことでもないのだが、ただ、若干露骨な印象を受けたことは否めない。
 周囲の会話が進む中で、余り自分の出番もないことから緊張が少し解けてきた歌恋はスプーンを手に取ると、サーブされたスープを一口啜る。コトコトと長時間煮込んだ馬鈴薯の、何とも言えない優しい味が口いっぱいに広がり、歌恋は思わず日本語で感嘆の声を上げた。
「……おいしい!」
 その声は周囲の会話が僅かに途切れる絶妙なタイミングで、些か場違いなほどに妙に響いて聞こえた。ダイニングにいる人間の視線が一斉に自身に集中するのに気付いて歌恋は慌てて口許を押さえた。かあっと一瞬で頬に血が昇るのを感じながら。
 また、やっちゃった―――っ!
 恥ずかしさのあまり俯いた歌恋は内心で絶叫する。今まで食べたスープの中で一番美味しいスープだったんです! という言い訳と、後できっとまた桐島に怒られるという怯えとが歌恋の中でぐるぐると渦を巻く。微妙な空気の流れるダイニングであったが、その場を収めたのは流暢なドイツ語の紡ぐ言葉であった。
「本当に素晴らしい料理です。私はドイツの日本大使館に赴任していた時期もありましたので、とても懐かしい味です」
 恐る恐る歌恋は顔を上げる。低く、落ち着いた声音はテーブルを挟んで向かい側の席に座る南雲蓮太郎《なぐも れんたろう》欧州局参事官のものであった。メインディッシュの豚肉のロースト《シュヴァイネブラーテン》と付け添えのザワークラウトを口に運ぶ南雲の一瞥と、所在なげな歌恋の上目遣いの視線とがかち合う。
 年の頃は歌恋の叔父、檀より少し上と言ったところであろうか。南雲参事官は艶のある黒髪を綺麗なオールバックに撫でつけた、所謂、官僚然とした風貌の男であった。一文字を描く濃い眉、そして涼やかな一重瞼の奥に輝く意志の強い光を湛えた黒曜石の瞳のいずれもが精神の強さの顕れのようであり、何よりも彼の纏う静やかな空気は古典的な日本男児と言った風情で、小さく、合図のように歌恋に会釈を寄越してくる所作も、侍のような風格すら漂わせている。
 ライ麦パンをサーブした皿を手許に引き寄せながら、南雲参事官は続けた。
「それにブルーメンタールには私も何度か訪れたことがあります。もっとも、その頃はまだ共和国ではなく公国と呼ばれていた時代ですが」
 さり気ない口調ではあったが、皮肉のスパイスの効いた南雲のその言葉に再びスープを掬おうとした歌恋の手の動きが思わず止まる。その、ブルーメンタールの国名が公国から共和国に変わるきっかけとなったのは二〇年前の軍事クーデターであり、その立役者は当時国務大臣であったディートリッヒ・アドラーと、今ここにいるユリウス・アドラーなのである。
 君主制を廃し、共和制に移行したとは言え、国王を処刑したという暴力的なやり方は当然ながらブルーメンタール国内でも、そして当時の国際社会でも強い批判が起こったそうである。だが、ディートリッヒ・アドラーは王権が不測の事態により正常に機能しなくなった場合にのみ、暫定的に置かれる『総統』の地位に就いたまま退くこともなく、軍部を掌握した子息のユリウスとともに現在に至るまでの二十年にも及ぶ独裁体制を布いており、王政の復活を望み、旧ブルーメンタール王家に忠誠を誓う王党派と呼ばれる一派を始め、アドラー親子の体制に反対する者を弾圧、粛正し、権力を恣《ほしいまま》にしていると言われている。
 冷酷な独裁者。そう呼ばれている左隣の男を歌恋は横目に見遣るが、当の隻眼の元帥は表情ひとつ変えるでもなく、完璧なテーブルマナーに則った優雅な仕種でシュヴァイネブラーテンをナイフで切り分けている。
「その公国時代の遺産ですな。カレリナ・イングリート記念鉱山会社―――通称『王女の庭園』という国有企業がおありだと思うが」
 南雲の投げ掛けた言葉にナイフとフォークを持つユリウスの手が一瞬、鈍り、金属と磁器とが擦れ合う軋音が微かに響いた。副官のヴィンクラーがユリウスを代弁して応じる。
「その企業は既に解体しております。仰る通り、『王女の庭園』は過去にはブルーメンタール王家の直轄企業として、プラチナ鉱山の採掘権と利益を独占しておりましたが、王家の消滅と共にそれは意味のないものとなりましたので。それに鉱山そのものも、今はカレリナ・イングリート記念鉱山という名称ではありません」
「なるほど。カレリナ・イングリート―――ブルーメンタール王家最期の王女の名前など、現在の共和国政権にとっては忌避すべきものでしょうから」

【続きは製品版でお楽しみください】