『千年愛~狂皇帝と銀色の聖女~』 著:ロクヨミノ イラスト:広瀬コウ 価格:500円 レーベル:ヘリアンサス文庫

【冒頭試し読み】

目次

◇強襲◆
◇決闘◆
◇夢とうつつ◆
◇侵食◆
◇イヴァンの追想、そして……◆
◇見失った恋◆
◇終章◆

◇強襲◆

「命が惜しければ抵抗するな。そうすれば、命だけは……あぁ、命だけは、助けてやろう」
そう告げたのは金色の髪に青い瞳、黒い軍服を纏った青年。
春風の吹き抜ける白亜の神殿に響いた、剣を手にした男の声に誰もが押し黙る。
ここにはリーベ王国内各所から、キルシュバオム帝国との戦渦から逃れてきた多くの民が居た。誰もが怯え、声を殺して泣き始める者も居る中で一人だけ。
白銀の足元まである長い髪に金色の瞳を持つ、白いドレスの少女が歩み出た。
豊穣の女神を模った像と美しいステンドグラスを背にして、凛とした声音で言う。
「……命だけは、というのはどういう意味かしら。奴隷にでもするつもり?」
彼女の名前はヴェルディアナ・ブランキーニ。様々な治癒術と光の魔法を操り、リーベ王国で聖女と呼ばれ、この神殿を任されている長でもある。
「あぁ、肥えた豚どもを民として受けいれるつもりはないが。おまえがこの神殿の……聖女と呼ばれる女か?」
男の言葉を聞くと、ヴェルディアナは背筋を嫌な汗が伝うのを感じながらも、虚勢をはって告げる。それほど、この男の威圧感は強いものだった、その理由も分かっている。
「イヴァン・キルシュバオム皇帝みずからいらっしゃるなんてね。他の者たちを全員見逃してくれるなら、この神殿を明け渡すわ。私の身柄はどうなっても構わない」
彼こそは、キルシュバオムの皇帝。この世で最強の軍隊を揃えていることでも有名だが、当の皇帝本人も一人で三千の兵を相手取ったという化け物じみた存在だ。
わざわざこの神殿を訪れた理由は分からないが、ヴェルディアナは神殿が強襲された時点ですべて覚悟していた。殺されてもいい、他の者がみんな助かるのなら。
「ほう? どうなってもいい、か」
「ええ。どうかしら? 見逃してくださらないのなら……」
そうしたら、逃げられる者だけでも逃がしてやらなければならない。たとえここで戦死するとしても。
聖女様、と方々から声がするが、どの道、ヴェルディアナは死ぬほどの覚悟を決めていた。
凶悪、残忍、そんな言葉がよくお似合いの皇帝陛下がいったいどんな気まぐれでここへやって来たのか、予想がつかないわけではないがまだ確かではない。
「……いいだろう、だがヴェルディアナ・ブランキーニ、おまえの身柄と引き換えだ」
男はにやりと笑うと、剣を手にしたままでヴェルディアナに近づき、その細い腕を掴む。
「ヴェルディアナ様っ!」
それに、彼女のすぐ傍に控えていた赤の短い髪にすみれ色の瞳を持つ後輩のシスターが声をあげる。
ヴェルディアナは少々困ったように微笑んで、彼女に告げる。
「アンヘレス、あとのことは任せたわ。最後に重責を背負わせてしまって、ごめんなさいね」
その微笑みを見て、アンヘレスと呼ばれた少女はイヴァンに向かって叫ぶ。
「く……っ、この、卑怯者っ! 神殿を襲うとはなんと卑劣な行い! 許されぬことと知れ!」
そもそも、中立であり戦う力を持つ者がほとんど居ない神殿を狙った時点で、イヴァンの行為は人道的なものではない。
それでもここを訪れた理由があるとすれば、それは、最初からヴェルディアナの身柄が目的であった可能性が高いのだが、彼が何も言わない以上は憶測でしかない。
「話は終わったか? なら、聖女殿、おまえには新しい居場所をくれてやる」
イヴァンが厭味に笑うと、一瞬で景色が変化する。
(転移魔法……噂には聞いていたけど、やっぱり化け物みたいな男ね)
現代では、これを扱えるほどの魔力を有した者は居ないと言っていい。古代魔術と呼ばれるもので、とうの昔に扱える者は滅んだとされているものだ。もちろん、ヴェルディアナにも不可能だ。
(私に何をさせるつもりでこんなところまで来たのかしら? 大方、負傷者の手当てでもさせるつもりなんでしょうけど)
けれど、景色が変わったかと思えばそこは王宮の一角のようだった。
意味が分からず、首を傾げるヴェルディアナ。なぜこんなところに連れて来られたのだろうか?
「……え?」
意外そうな顔をしているヴェルディアナに、イヴァンは面白いものを見るようにして言う。
「ここは後宮だ。自分の身柄はどうなってもいいと宣言したのはおまえだろう?」
それを聞いてぞっとした。いくらなんでも想定外だ。
「……何をさせるつもりなの?」
警戒心をあらわにするヴェルディアナは、彼と距離を取ろうとするが、掴まれた手首を強く引き寄せられて、男の腕の中におさまる形となる。
聖女として生き、あまり男にこうして触れたことも触れられたこともないヴェルディアナにとっては衝撃的なことだった。
「っ、何を……っ!」
離れようと暴れてもびくともしない。むしろきつく手首を掴まれて痛みが走る。
「おまえは私の側室にしてやろうと思っていた」
男の言葉の意味が分からず、呆然としているヴェルディアナの頬を撫でて、イヴァンは嗤う。
「どうした? どうなってもいいんだろう?」
確かにそう宣言した、それは事実だが、この男はリーベ王国を滅ぼそうとしている、罪なき人々の多くを殺している、許されざる者だ。
そんな男の側室などと、ふざけたことを言いだすとは思っていなかった。
「――ふざけたことを、言わないで」
イヴァンは憤慨するヴェルディアナの細い腰を抱き寄せて、あいている手で彼女の頤を支えて顔をあげさせる。
ヴェルディアナは負けじとイヴァンの青い目を睨み返した。
「リーベ王国はじきに滅びる。そのときに、おまえの態度しだいではいくらかの人間を救ってやってもいい」
しかしイヴァンのその言葉は、迷いを生ませるのに充分だった。
「……っ」
破滅は分かっていた、リーベ王国は緩やかに、けれど確実に追い詰められ、あとは滅びを待つばかりであるということも。
神殿は中立であり、キルシュバオムにもあるが、ヴェルディアナはあくまでリーベ王国にある大神殿の長だ。この男を受けいれることは到底できそうにない。
だが、このイヴァンという皇帝は強く、まさしく一騎当千のつわものであった。彼の手からリーベ王国の民を救うには、言うことを聞くしかないのかもしれない。約束を守る保証などどこにもないが、それでも……。
だからこそ、ヴェルディアナは嫌悪を覚えながらも、重なる唇を拒絶しなかった。
「ん……っ」
息継ぎもうまくできない、何もかも初めてであるから。
恐怖と嫌悪を感じながらも、ヴェルディアナは無抵抗のまま男を受けいれる。
やがて唇が離れると、彼女は胸元をおさえて乱れた呼吸を整える。
気持ちが悪い、好きでもない、ろくに知りもしない男とこんなことをしなければならないなんて。
彼女は金色の瞳に涙を滲ませて言う。
「っ……この……めずらしいものを収集する趣味でもあるの? なぜ、私を始末しないのよ」
自分で言うのもなんだが、ヴェルディアナは治癒に特化した能力を持ち、さらに容姿もあまり多くない部類のものだった。今までにも成金や貴族の男が買収しようとしたことはあるが、神殿という組織に庇われたことと、ヴェルディアナ自身、そんな男に指一本触れさせないだけの実力があったのでなしになっただけのこと。
けれどイヴァンという男は別だ、きっと戦っても勝てるとは思えないし、リーベ王国の民を人質に取られてしまえば、迂闊に暴れることも逃げだすこともできない。
「おまえが殺してほしそうにしていたからな」
しかしイヴァンはクッと嗤うと、ヴェルディアナの頬を撫でながら言う。
「死にたい者を殺すことほどつまらんものはない、おまえにとって何が一番耐え難いのか……それは、ここに居ることだろう?」
「だったら、売女にでもすればいいわ」
そのほうがまだマシだ。青い目を睨みつけて言うと、彼はおかしそうに笑った。
「そら、見たことか。ここに居ることはおまえにとって娼婦に成り下がるより苦痛であるんだろう? であれば、手放すまい」
「――っ!」
それはそうだ、イヴァンは侵略者であり、中立の神殿からしても目に余るほどの残虐さを持っている。
彼の仕掛ける戦いは、ちょっとした遊びのようなものなのだろう。
神殿の中でも意見はそれぞれだが、ヴェルディアナは少なくともこの男を嫌悪していた……聖女としてはあるまじき、私怨だが。
大切なひとの命を奪った、憎い憎い男。
けれどイヴァンは気にしたふうでもなく言う。
「おまえは高い魔力を有しているようだし、俺の子を産ませてやるのも悪くない」
「冗談にしては……笑えないわ」
本当に笑えない。この男に触れられるなど耐え難い。
離れようとした彼女の細い腰を簡単に抱き寄せて、イヴァンはもう一度唇を重ねる。
「どの道、おまえにはもう逃げ道などない。せいぜい、罪なき民のためにその身を捧げるがいい」
男の冷酷な笑みに、ヴェルディアナは唇を噛むことしかできなかった。

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