『捨て猫カフェ 佐々の喫茶 ~猫好き店主のきまぐれな恋~』 著:如月一花 イラスト:天満あこ 本体価格:400円 レーベル:ヘリアンサス文庫

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目次

捨て猫カフェ 佐々の喫茶 ~猫好き店主のきまぐれな恋~

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 その日、美奈はそわそわした気持ちでパソコンに向かい、その瞬間を待っていた。
 派遣社員で大学の事務として働く美奈は、契約満了か、それとも更に更新して雇ってもらえるか、それが人生の大きな分かれ目となる。
 でも、今日は契約満了日で、更に更新して雇ってもらえるという道はかなり狭い。
 ましてや正社員なんてことはまずない、そう思う反面、もしかしたら、なんて期待もする。
 好きで派遣社員なんてやってるわけじゃない。
 正社員になれれば、更新ごとにやきもきすることなんてなく仕事も出来るし、失敗したって派遣会社に報告されることもない。
 一々怯えて仕事をしなくても、仕事を真面目に取り組んでいることを評価してもらえるはず。
 今回こそ、正社員になりたい!
 美奈の気持ちは期待で満ちる。
 そんな時に上司が美奈を呼んだ。
「派遣会社の市村さんいらしたよ」
「はい!」
 美奈は応接室にすぐに向かい、にこやかに待つ市村さんに挨拶をした。
 胸元がやや協調されていて、髪の毛は緩いパーマがかかっている。
 スーツはブラックなんだけれど、女性らしい印象だ。
「お疲れさまです。高城(たかしろ)さん」
「お疲れさまです」
「お仕事には慣れました?」
「もう! 何をしても大丈夫です!」
「そうですか……」
 一瞬、市村さんの顔が曇る。
 それを、美奈が見逃すはずはなかった。
 嫌な予感に胸が鳴り始める。
「今日でお仕事は終わりとなります。契約満了です」
 市村さんはそう告げると、美奈に書類を渡す。
「これに必要事項を書いてください」
「わかりました」
 項垂れている余裕もなく、美奈は書類を埋める作業を始める。
 これで何回、この書類を書いたろう。
 それに、今回は仕事だってミスなんてしてないし、何が不服だっていうんだろうか。
「産休の方が明けて戻るそうなんです。高城さんの頑張りも認めて下さっていたんですが、こちらの力及ばず、申し訳ありません」
「いえ」
 派遣会社の人が力なんて貸してくれたろうか。
 いつだって、勤怠の管理やミスのチェックばかり。
 正社員にして欲しいなんて、本当に働きかけてくれているとは思えない。
 それに、なにより、次の仕事だっていつ見付かるか……。
「仕事の話はすぐにお知らせしますから」
 美奈の気持ちを察してか、市村さんはそんな嘘を付く。
 何度もこんなことがあると、すぐに仕事が見付かったことなんてないことが思い出される。
 そして、美奈が待っているのは、貯金生活。
「お仕事の情報、お願いします」
 書類を書いて渡すと、美奈は暗い気持ちで市村さんに頭を下げた。
 貯金生活なんて何度目だろう。
 そもそも、大学卒業と同時に就職出来なかった美奈って何でなんだろう?
 今回だって、あんなに頑張ったのに、産休明けの正社員さんの代わり以上にはなれなかった。
 市村さんと次の仕事について話している間、美奈はそんな風にして自分を責めた。
 話終えて仕事を再開し、今日にはここを去ると思うと悲しくなる。
 今度こそは正社員にと思う。
 仕事を終えて、上司に引継ぎ事項を伝えて御礼を言うと、美奈は事務室を後にした。
 長く働いたと思ったけれど、一年半程度だった。
 この事務の仕事は、産休に入る女性の代わりと言われていたから覚悟すべきだったのに、美奈は待遇面に惹かれて引き受けてしまった。
 分かっていたことなのに。
 バカみたいだ、なんて思いながら電車に乗り、いつものようにスーパーで買い物してから帰ると、帰り道に『捨て猫カフェ開業しました』という張り紙を見つけた。
 捨て猫、なんてフレーズに思わず引き寄せられて、張り紙を見てしまう。
 猫カフェの猫たちは、皆捨て猫らしい。
 里親も募集している、とある。
 まるで美奈じゃない。
 どこにあるんだろうと地図を見れば、駅前にある書いてあった。
「逆の降り口に出来たんだ。あんなところに」
 思わず独り事を言ってしまうものの、なぜか気持ちが軽くなる。
 いつも同じように帰る帰り道、今日は違う所を寄っても、なんて思ってしまう。
 すると電話が鳴った。
 親からだ。
 こんな時に、と思いつつ、切ることも出来ずにスマホに出た。
『美奈(みな)。元気にしてる?』
「お母さん。今仕事の帰り」
『また派遣切られてない?』
 そう言われて、思わず何も言えなくなってしまう。
『美奈、要領悪いから。もう実家に帰って来なさい。こっちはせかせかしなくていいし。ゆっくり仕事を見つければいいから。お金は大丈夫?』
「お金なら、大丈夫」
 咄嗟に嘘を付く。
 本当は僅かな貯金があるだけで、貰えるものならいくらだって欲しい。
 でも、ここで援助を受けることは、実家に帰ることと同じような意味がして、素直に言い出すことも出来ない。
『じゃあ。食べ物送るから。あ、それとね、うちに来たカメラマンさん、イケメンよ』
「また、結婚とか、恋愛とか、そういう話? 興味ないからね」
『いいじゃない。仕事ばっかりしてもつまらないんだから。結婚を急かすつもりはないけれど、恋愛くらいはして欲しいじゃない?』
「親が恋愛を勧めるなんて、普通ないと思うけど」
『だって、美奈の恋愛話、社会人になってから聞いてないから』
 そう言われればそうだった。
 正社員になりたくて必死に仕事をしていたし、恋愛するほど余裕もないし、職場には隔たりも感じていたから今まで誰もいなかったし、誰も好きになることもなかった。
 恋愛していない状態、何年だろう?
『もう、帰ってくるんでしょう? 実家にはイケメンいるんだから』
「ちなみに、そのイケメンはどんな人?」
『うーん。そうね。誰に似てるってわけじゃないけれど、髭が生えてて戦場カメラマンみたいな人かしら?』
「却下」
 戦場カメラマンみたいな人って、それってイケメン?
 わざわざ実家に帰って見るほどじゃないと思う。
「まだ外だから」
『あ、ちょっと。美奈!』
 母親の追及を逃れるためにブツリとスマホを切ると、美奈はため息を吐いた。
 思えば、恋愛をしていない。
 かといって、恋愛したい、なんて余裕もない。
 今日出来ることといえば、この『捨て猫カフェ』で癒されることくらいだろう。
 美奈と同じで、どこにも居場所がなくて、保護されているその子達と一緒になって、今日派遣先を切られたことを忘れてしまおう。
 美奈は歩いてきた道を戻り、駅の向こう側へ向かって歩いた。
 駅向こうは駅前が最近開発されたばかりで、色々な新しい店が出来ていた。
 それまでは何もなくて、あっても総菜屋とコンビニ、居酒屋くらいだった。
 それが最近ドラッグストアがひとつで来たと思ったら、どんどんと開発が進んでいた。
 そして、美奈が探していたカフェも見つけた。
『捨て猫カフェ 佐々の喫茶』
 看板にはそうある。
 店内を覗くと、誰もいない。
 まだ出来たばかりだから、かもしれないけれど、看板を見て躊躇する人もいるかもしれない。
 入ったら最後、捨て猫を飼ってくれないか、なんてこともあるかもしれないからだ。
 単に癒しを求めて来るなんて、珍しいのかな?
 美奈はドアを開けて中に入った。
 そして、受付に立つ男性に思わず目を奪われる。
「いらっしゃいませ」
 長身で黒髪、切れ長の目、そしてカフェには似合わずなぜかスーツを着ている。
 でもそれがその人をより一層かっこ良く見せていた。
「ワンドリンク制になりますので、こちらからドリンクをお選びください」
 低い声がまたいいのだけれど、美奈は緊張して目も合わせられない。
 久しぶりの男性がこんなにイケメンかと思えば思う程だ。
 目に入ったカフェラテを頼むと、男性はすぐに美奈を席に案内した。
「猫が好きなんですか?」
「いえ。猫が好きっていうよりは、疲れていたので癒しを求めて」
「癒しですか。何かお疲れなんですか?」
「いえ。大したことじゃないんです」
 そう言って、美奈は案内された席に座った。
「猫たちに癒されて下さい。どの子も可愛いですから。とくに、ナナは最高ですよ」
「ナナ?」
「あの黒猫です。たまに膝にのってくれるんですけれど、滅多に乗らないんですよ。それから、タマ。三毛猫なんですけれど、餌をくれる人間とくれない人間を見分けます」
「へえ」
 突然饒舌に話す店員さんに、美奈は何も言えなくなる。
 黙って聞き言ってしまうと、部屋に居る猫の自己紹介は終わってしまった。
 途切れることなく話す店員さんに、ただただ頷くだけだった。
 見た目はイケメンなのに、猫への愛情が凄くて一瞬驚いてしまう。
「ああ、カフェラテ。失礼しました。少々お待ちください!」
 やっと話が終わった、と思っても、店員さんにすり寄る猫に対して、にこにこしている。
 カフェラテはいつできるやら。
 なんて思いながらも、美奈も猫を触ろうかと店内を見渡す。
 猫専用のポールや遊び場があり、猫も自由にしている。
 とても捨てられたとは思えないけれど、一定の距離は保っているし、人懐っこい猫はいない。捨てられたから、という理由もあるかもしれない。
 餌をくれる人が来ても、余計に近寄ることはなかった。
 
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