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王女は復讐のために猫をかぶる 【12月新刊】

『王女は復讐のために猫をかぶる 】』 
著:藤原ゆう イラスト:小埜聖華 本体価格:500円 レーベル:ペリドット文庫

【冒頭試し読み】

目次

目次

プロローグ

第一章 帝国の後宮 
 一.後宮の裏庭
 二.お茶会
 三.秘密の手紙

第二章 変わる季節に
 一.花の祭り
 二.近付く距離
 三.皇帝と皇妃

第三章 幸せになるために
 一.視察団
 二.隠されてきた秘密
 三.この切っ先を向けるのは
 四.そして幸せになるために

エピローグ
  一.ふたたび花の咲くころ
  二.これからは君も一緒に

!PB


プロローグ

「姫さま! 宮殿が見えましたわ!」
 襟や袖にレースの縁取りのある、緑色のモスリンのドレスを着た女性に、その向かいの席に座る、飾り気のない質素な作りのドレスの女性が、馬車の窓から外を眺めていたかと思うと、急に嬉しそうな声を上げた。
「エリナさま。ほら、あそこ! 尖塔が、あんなにもたくさん!」
「セアラ。そんなに興奮しないで?」
「だって、姫さま。あそこに皇帝陛下がおられるのかと思うと、居ても立ってもいられなくなりません?ドキドキしてきますわね!」
「そうね……」
 祖国から帝国まで続く街道は、もうすぐ終着点。
 エリナは曖昧な返事を侍女に返して、馬車の外の景色に目を移した。
 春まだ浅いこの日。それでも窓から見える空は、青く澄み渡っていた。
 赤い煉瓦造りの家が立ち並ぶ街の向こうの高台に、高い塀に囲まれた宮殿の白い壁が見えていた。
 彼女たちが向かっているのはソール帝国。
 数々の戦乱の果てに、四方を囲む国々と同盟関係を結んできた。さらにその国々の向こうは、東を砂漠、南を海、北に山脈という天然の要塞とも言える地形があり、その堅牢な守りが帝国に繁栄をもたらしていた。
 帝国は言わば、この地域を照らす太陽だった。
 エリナの祖国であるハフトニーチェ王国は、帝国の北に位置している。国土のほとんどが乾燥した山岳地帯にあり、土地が痩せていて産業の乏しい王国は、主に帝国からの援助によって成り立っており、周辺国よりも帝国への依存度が高かった。国民の中には歴史と伝統のある王国が、国の属国とみなされることを不満に思う者もいたが、いかんせん日々の糧には代えられない。
 そういう訳で、ハフトニーチェ王国は、今の状況に甘んじることを余儀なくされていた。

 宮殿を中心に同心円状に広がる帝都。その帝都の中を、放射状に貫くようにして延びた石畳の道を、馬車は進んでいた。
 広い道の両脇には商店が並び、たくさんの品物が並んでいる。祖国の商店とは違う賑やかな様子は、帝国の豊かさをそのまま表しているようだった。
「ハフトニーチェとは違いますねえ」
 通りすがりに、セアラがしみじみと呟いた。
 大《おお》路《じ》を進んで行くと、そのうち緩《ゆる》い坂道になって、それを上りきると宮殿前の広場に出る。馬車はその広場も通り過ぎ、宮殿に続く門をくぐった。先ほどまで遠目に見えていた宮殿の白い壁が目の前に迫る。
 近くで見るとより壮麗な宮殿だった。
 祖国の王城の、要塞《ようさい》のような無骨な雰囲気とは、全く趣が異なっていた。
(これから、ここで生活することになるのね)
 馴染めそうにないと思うエリナの前で、セアラは相変わらず窓の外を見ながらはしゃいでいた。一方で、エリナの物思いは深くなる。
 思うのは、たった一人の妹のことだった。
 三つ違いの妹とは仲が良く、幼い頃からいつも一緒だった。
 二人で遊ぶ場所は決まっていた。
 王城の庭の一角に作られた薔薇園で。
「ねえしゃま。おにごっこ、しましょ?」
 舌足らずに言って、三歳のカレンがエリナを見上げた。七歳のエリナは、その上目遣いの可愛い顔を見ただけで、もう何でもしてあげたくなる。
「いいよ。じゃあ、ねえさまが鬼ね」
 エリナは言うや、カレンはトコトコと、小さな手足を動かして走り出した。
 もちろんエリナが本気で走れば、数歩で追いついてしまう速さだ。エリナは、幼い妹をすぐに捕まえてしまわないように気をつけながら追いかけた。
 カレンの髪は、エリナの亜麻色の髪よりずっと薄い茶色だ。日の光に照らされると、金髪に見えるくらい。
 彼女が走るたびにふわふわと揺れる髪を見ていると、こちらの心も軽くなるようだった。
(ああ、もう、カレン、天使みたい……!)
 きゅんとしながら、溺愛する妹の小さな体に手を伸ばした。
「カレン、捕まえた!」
 捕まってキャーキャー声を上げているカレンが、小さな口をいっぱいに広げて笑いながらエリナを見上げた。
 エリナは妹の一点の曇りもない緑の瞳を覗き込んだ。
「カレンの目、宝石みたいに綺麗ね」
「ねえしゃまの、おめめも?」
「ふふ。そうね」
 姉妹で同じ緑の瞳。ハフトニーチェの雨季に一斉に芽吹く緑のような、素朴な美しさで人を魅了する両の目。その瞳で、ずっと二人、同じ物を見ていられるのだと信じていた。あの時までは……。

 ***
 
 鬼ごっこやかくれんぼに興じた幼年期から数年経つと、姉妹それぞれ興味を持つものは変わっていた。
 カレンは大人しそうな雰囲気そのままに、裁縫や読書が好きな女の子に育ち、対してエリナは、乗馬やかけっこ、剣術などを好む、少々活発に過ぎる王女になっていた。
「あなたは、私に似ているのね」
 ハフトニーチェのさらに北方にある山岳国家、イシュエル出身の母は、母国では馬術の名手として知られているという母に言われ、気を良くしたエリナは、ますます鍛《たん》錬《れん》に身を入れるようになった。その鍛錬の折には、母の勧《すす》めで、『影』と呼ばれる母の護衛が剣術の稽古をつけてくれ、エリナが十二の年を迎える頃には、ひと通りの護身術が使えるくらいになっていた。
 母が『影』と呼ぶ存在は、元は母の母国の兵士だったのだという。母が嫁いでくる際に、特に選ばれて護衛となり、ずっと付かず離れず母を守ってきた。
 イシュエルの兵士は、砂漠の向こうにある、東の国の隠《おん》密《みつ》を生業《なりわい》とする者の技を使うという。目以外の部分をすべて布で隠す装《しょう》束《ぞく》を着て、滅多なことでは主人の前にすら姿を見せない。暗器を用い、諜報と暗殺とを得意とする。無論、彼女が得たのは己の身を守る術《すべ》であって、敵対する相手を傷つけることには重きを置いていなかった。
 そんな存在に護身の術を習ったエリナは、師の本当の姿を知らないまま成長した。
 彼について尋ねると、母は立てた指を一本唇に当てて。
「お父様には内緒ね」
 その護衛の存在は、父である国王には知らされておらず、その人は本当に、影のように母を守ってきたのだ。
「どうして、とうさまに言わないの? かあさま」
 十二のエリナは、率《そっ》直《ちょく》な問いを母に投げかけたが、母はただ一言、
「エリナが、もう少し大きくなってから、お話しましょうね」
 と言っただけで、その話を終えてしまった。

***

 そして。エリナ、十七歳の夏。
 あの運命の日――。

 その日は、ハフトニーチェ王国は、帝国からの使節団の訪問を受けていた。
 使節団というのは、帝国と同盟関係を結んでいる周辺各国へ、帝国が外交官を派遣し、その国の内情などを視察するというものだ。時期は定まっていないものの、毎年一回規定に則ってやって来る。それは帝国の庇護なしではやっていけない中小国にとって大切な時間だった。
 ハフトニーチェ王国も国を挙げて、帝国の外交官たちを歓迎した。視察が無事に済めば、帝国からの援助は引き続き確かなものと保証されるのだから当然だろう。
 けれど、この年の使節団はいつもと違っていた。
 なぜなら、皇帝自らが団長として、使節団に加わっていたからだ。
 皇帝が帝国の宮殿を出ることなど、めったにないことだった。父である前皇帝の崩御を機に、僅か十三歳で帝位を継いだ若き皇帝は、帝都の住民すら、姿を目にすることは稀《まれ》なことだという。
 いまだ、その人となりが謎に包まれている皇帝の意に染まぬことがないように、ハフトニーチェ王城は緊張感に包まれた。そして、国王以下、王国の中枢にある者は皆、戦々恐々として皇帝を迎えたのだった。
 愛馬にまたがりやって来たその人は、辺りを払う威厳と風格を備えていた。そのあとに騎馬兵を従えた威風堂々とした姿は、周辺地域を掌《しょう》握《あく》する若き皇帝を、王国の民に印象付けるのに十分だっただろう。 
 皇帝が王城に到着してから、エリナが彼に直接会うことはなかった。
 接待の役はもっぱら国王夫妻が果たしていたし、歓迎の晩餐会でも、エリナと皇帝の間には数人の隔たりがあって、彼女が皇帝をまじまじと眺めるわけにもいかず……。エリナは晩餐会の時間を、隣に座るカレンとのお喋りと、こういう時にしか味わえない、ご馳走を堪能することに費やした。
 帝国使節団は、その後数日間ハフトニーチェに滞在することになるけれど、晩餐会が終われば、エリナたちはお役御免。
 難しい話は大人たちに任せ、王女たちは日常に戻っていった。

 けれど、その日常が壊される瞬間は、突然訪れた。
 次の日の夕方。
 エリナとカレンは、夏咲きの薔薇が咲く庭へと、日課の散歩に出ていた。
 その日読んだ本のことを楽しげに話すカレンに、エリナは相《あい》槌《づち》を打っていたが、
「見て、カレン。昨日よりも薔薇が咲いてるわ」
「わあ、綺麗!」
 カレンは大好きな本の話を途中でやめて、薔薇に駆け寄った。
「わたし、薔薇が一番好き!」
 エリナも一輪の花に近づき、豪華に咲く、花の香りを吸い込んだ。
「そうね。カレンは小さい時から好きだったわね」
 そうやって、二人で時を忘れて薔薇を愛《め》でていると、不意に背後に気配を感じて、エリナは咄嗟《とっさ》に振り向いた。すると二人のすぐ側に、背の高い屈強な男が。
 エリナはカレンを背中の後ろに庇うと、妹は声にならない叫び声を上げて姉にしがみついた。
「誰!?」
 男は頭に、目だけが見える黒い覆面を被っていた。服も同じ色の、動きやすそうな軽装。
 いかにも怪しい男の登場に全身が泡立ち、極度の緊張から動悸息切れが激しくなって、頭がくらくらしてきたが、カレンを守れるのは自分しかいないという思いだけで、なんとかその場に立っていた。
 そんな二人の様子に、覆面の向こうで、男が小さく笑ったような気がした。
 エリナは彼を睨むだけで精一杯。
 すると男はおもむろに、腰に下げた剣を抜き払った。
「お前たちのような小娘を手にかけろとは、あの方も酷なことをおっしゃる」
「え……」
 『手にかける』?
 その意味を問い返そうとした時、男が剣の切っ先をエリナたちの方に向け、
「カレン王女はどっちだ?」
 と、幼い娘なら縮み上がってしまうような、低い声で問いかけてきた。
 その剣を持つ手の甲には、何かの模様をかたどったような痣《あざ》があった。
 しかし問われて、「はい、私です」と答えられるはずもなかった。剣を向けられた恐ろしさで、声が出ないからだ。
「どちらでもいいか」
 男は興味を失ったように言い放ち、剣を振り上げた。
「恨むなよ」
 彼はまるで、足元の邪魔な草を刈り取るように、何の躊躇《ためら》いもなく、むしろ嬉々として、二人の王女に向かって剣を振り下ろした。
 初夏の日の光にキラリと閃《ひらめ》いた、両刃の剣。
 エリナとカレン、二人の悲鳴が重なった。
 その途端、エリナは後ろから強く押されて、薔薇園の土の上に転がった。
「カレン?」
 振《ふ》り仰《あお》いで見た視界に映ったのは、雨のように散る、赤い花びらだった。

 長椅子に腰かけ、項垂《うなだ》れるエリナに、母である王妃が寄り添っている。母は娘を落ち着かせるように背中を撫でながら、言葉をかけ続けていた。
「命に別条はないというし、意識が戻るのを待ちましょう」
 そう言われ、エリナは涙で濡れた顔を上げた。
「でも、かあさま。カレンは……」
 自分一人が無事で、全身全霊をかけて守ろうと誓っていた妹が、なぜ意識を失い、ベッドに横たわっているのか。
 周囲に咲く薔薇の花びらよりも、赤に染まったカレン。
(私は、どうしてカレンを守れなかったの?)
 駆け付けた衛兵たちによって運ばれるカレンに付き添いながら、エリナの頭を駆け巡っていたのは、ただ一つ、その思いだけだった。
 

【続きは製品版でお楽しみください】

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『王女は復讐のために猫をかぶる 】』 
著:藤原ゆう イラスト:小埜聖華 本体価格:500円 レーベル:ペリドット文庫

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プロローグ

第一章 帝国の後宮 
 一.後宮の裏庭
 二.お茶会
 三.秘密の手紙

第二章 変わる季節に
 一.花の祭り
 二.近付く距離
 三.皇帝と皇妃

第三章 幸せになるために
 一.視察団
 二.隠されてきた秘密
 三.この切っ先を向けるのは
 四.そして幸せになるために

エピローグ
  一.ふたたび花の咲くころ
  二.これからは君も一緒に

!PB


プロローグ

「姫さま! 宮殿が見えましたわ!」
 襟や袖にレースの縁取りのある、緑色のモスリンのドレスを着た女性に、その向かいの席に座る、飾り気のない質素な作りのドレスの女性が、馬車の窓から外を眺めていたかと思うと、急に嬉しそうな声を上げた。
「エリナさま。ほら、あそこ! 尖塔が、あんなにもたくさん!」
「セアラ。そんなに興奮しないで?」
「だって、姫さま。あそこに皇帝陛下がおられるのかと思うと、居ても立ってもいられなくなりません?ドキドキしてきますわね!」
「そうね……」
 祖国から帝国まで続く街道は、もうすぐ終着点。
 エリナは曖昧な返事を侍女に返して、馬車の外の景色に目を移した。
 春まだ浅いこの日。それでも窓から見える空は、青く澄み渡っていた。
 赤い煉瓦造りの家が立ち並ぶ街の向こうの高台に、高い塀に囲まれた宮殿の白い壁が見えていた。
 彼女たちが向かっているのはソール帝国。
 数々の戦乱の果てに、四方を囲む国々と同盟関係を結んできた。さらにその国々の向こうは、東を砂漠、南を海、北に山脈という天然の要塞とも言える地形があり、その堅牢な守りが帝国に繁栄をもたらしていた。
 帝国は言わば、この地域を照らす太陽だった。
 エリナの祖国であるハフトニーチェ王国は、帝国の北に位置している。国土のほとんどが乾燥した山岳地帯にあり、土地が痩せていて産業の乏しい王国は、主に帝国からの援助によって成り立っており、周辺国よりも帝国への依存度が高かった。国民の中には歴史と伝統のある王国が、国の属国とみなされることを不満に思う者もいたが、いかんせん日々の糧には代えられない。
 そういう訳で、ハフトニーチェ王国は、今の状況に甘んじることを余儀なくされていた。

 宮殿を中心に同心円状に広がる帝都。その帝都の中を、放射状に貫くようにして延びた石畳の道を、馬車は進んでいた。
 広い道の両脇には商店が並び、たくさんの品物が並んでいる。祖国の商店とは違う賑やかな様子は、帝国の豊かさをそのまま表しているようだった。
「ハフトニーチェとは違いますねえ」
 通りすがりに、セアラがしみじみと呟いた。
 大《おお》路《じ》を進んで行くと、そのうち緩《ゆる》い坂道になって、それを上りきると宮殿前の広場に出る。馬車はその広場も通り過ぎ、宮殿に続く門をくぐった。先ほどまで遠目に見えていた宮殿の白い壁が目の前に迫る。
 近くで見るとより壮麗な宮殿だった。
 祖国の王城の、要塞《ようさい》のような無骨な雰囲気とは、全く趣が異なっていた。
(これから、ここで生活することになるのね)
 馴染めそうにないと思うエリナの前で、セアラは相変わらず窓の外を見ながらはしゃいでいた。一方で、エリナの物思いは深くなる。
 思うのは、たった一人の妹のことだった。
 三つ違いの妹とは仲が良く、幼い頃からいつも一緒だった。
 二人で遊ぶ場所は決まっていた。
 王城の庭の一角に作られた薔薇園で。
「ねえしゃま。おにごっこ、しましょ?」
 舌足らずに言って、三歳のカレンがエリナを見上げた。七歳のエリナは、その上目遣いの可愛い顔を見ただけで、もう何でもしてあげたくなる。
「いいよ。じゃあ、ねえさまが鬼ね」
 エリナは言うや、カレンはトコトコと、小さな手足を動かして走り出した。
 もちろんエリナが本気で走れば、数歩で追いついてしまう速さだ。エリナは、幼い妹をすぐに捕まえてしまわないように気をつけながら追いかけた。
 カレンの髪は、エリナの亜麻色の髪よりずっと薄い茶色だ。日の光に照らされると、金髪に見えるくらい。
 彼女が走るたびにふわふわと揺れる髪を見ていると、こちらの心も軽くなるようだった。
(ああ、もう、カレン、天使みたい……!)
 きゅんとしながら、溺愛する妹の小さな体に手を伸ばした。
「カレン、捕まえた!」
 捕まってキャーキャー声を上げているカレンが、小さな口をいっぱいに広げて笑いながらエリナを見上げた。
 エリナは妹の一点の曇りもない緑の瞳を覗き込んだ。
「カレンの目、宝石みたいに綺麗ね」
「ねえしゃまの、おめめも?」
「ふふ。そうね」
 姉妹で同じ緑の瞳。ハフトニーチェの雨季に一斉に芽吹く緑のような、素朴な美しさで人を魅了する両の目。その瞳で、ずっと二人、同じ物を見ていられるのだと信じていた。あの時までは……。

 ***
 
 鬼ごっこやかくれんぼに興じた幼年期から数年経つと、姉妹それぞれ興味を持つものは変わっていた。
 カレンは大人しそうな雰囲気そのままに、裁縫や読書が好きな女の子に育ち、対してエリナは、乗馬やかけっこ、剣術などを好む、少々活発に過ぎる王女になっていた。
「あなたは、私に似ているのね」
 ハフトニーチェのさらに北方にある山岳国家、イシュエル出身の母は、母国では馬術の名手として知られているという母に言われ、気を良くしたエリナは、ますます鍛《たん》錬《れん》に身を入れるようになった。その鍛錬の折には、母の勧《すす》めで、『影』と呼ばれる母の護衛が剣術の稽古をつけてくれ、エリナが十二の年を迎える頃には、ひと通りの護身術が使えるくらいになっていた。
 母が『影』と呼ぶ存在は、元は母の母国の兵士だったのだという。母が嫁いでくる際に、特に選ばれて護衛となり、ずっと付かず離れず母を守ってきた。
 イシュエルの兵士は、砂漠の向こうにある、東の国の隠《おん》密《みつ》を生業《なりわい》とする者の技を使うという。目以外の部分をすべて布で隠す装《しょう》束《ぞく》を着て、滅多なことでは主人の前にすら姿を見せない。暗器を用い、諜報と暗殺とを得意とする。無論、彼女が得たのは己の身を守る術《すべ》であって、敵対する相手を傷つけることには重きを置いていなかった。
 そんな存在に護身の術を習ったエリナは、師の本当の姿を知らないまま成長した。
 彼について尋ねると、母は立てた指を一本唇に当てて。
「お父様には内緒ね」
 その護衛の存在は、父である国王には知らされておらず、その人は本当に、影のように母を守ってきたのだ。
「どうして、とうさまに言わないの? かあさま」
 十二のエリナは、率《そっ》直《ちょく》な問いを母に投げかけたが、母はただ一言、
「エリナが、もう少し大きくなってから、お話しましょうね」
 と言っただけで、その話を終えてしまった。

***

 そして。エリナ、十七歳の夏。
 あの運命の日――。

 その日は、ハフトニーチェ王国は、帝国からの使節団の訪問を受けていた。
 使節団というのは、帝国と同盟関係を結んでいる周辺各国へ、帝国が外交官を派遣し、その国の内情などを視察するというものだ。時期は定まっていないものの、毎年一回規定に則ってやって来る。それは帝国の庇護なしではやっていけない中小国にとって大切な時間だった。
 ハフトニーチェ王国も国を挙げて、帝国の外交官たちを歓迎した。視察が無事に済めば、帝国からの援助は引き続き確かなものと保証されるのだから当然だろう。
 けれど、この年の使節団はいつもと違っていた。
 なぜなら、皇帝自らが団長として、使節団に加わっていたからだ。
 皇帝が帝国の宮殿を出ることなど、めったにないことだった。父である前皇帝の崩御を機に、僅か十三歳で帝位を継いだ若き皇帝は、帝都の住民すら、姿を目にすることは稀《まれ》なことだという。
 いまだ、その人となりが謎に包まれている皇帝の意に染まぬことがないように、ハフトニーチェ王城は緊張感に包まれた。そして、国王以下、王国の中枢にある者は皆、戦々恐々として皇帝を迎えたのだった。
 愛馬にまたがりやって来たその人は、辺りを払う威厳と風格を備えていた。そのあとに騎馬兵を従えた威風堂々とした姿は、周辺地域を掌《しょう》握《あく》する若き皇帝を、王国の民に印象付けるのに十分だっただろう。 
 皇帝が王城に到着してから、エリナが彼に直接会うことはなかった。
 接待の役はもっぱら国王夫妻が果たしていたし、歓迎の晩餐会でも、エリナと皇帝の間には数人の隔たりがあって、彼女が皇帝をまじまじと眺めるわけにもいかず……。エリナは晩餐会の時間を、隣に座るカレンとのお喋りと、こういう時にしか味わえない、ご馳走を堪能することに費やした。
 帝国使節団は、その後数日間ハフトニーチェに滞在することになるけれど、晩餐会が終われば、エリナたちはお役御免。
 難しい話は大人たちに任せ、王女たちは日常に戻っていった。

 けれど、その日常が壊される瞬間は、突然訪れた。
 次の日の夕方。
 エリナとカレンは、夏咲きの薔薇が咲く庭へと、日課の散歩に出ていた。
 その日読んだ本のことを楽しげに話すカレンに、エリナは相《あい》槌《づち》を打っていたが、
「見て、カレン。昨日よりも薔薇が咲いてるわ」
「わあ、綺麗!」
 カレンは大好きな本の話を途中でやめて、薔薇に駆け寄った。
「わたし、薔薇が一番好き!」
 エリナも一輪の花に近づき、豪華に咲く、花の香りを吸い込んだ。
「そうね。カレンは小さい時から好きだったわね」
 そうやって、二人で時を忘れて薔薇を愛《め》でていると、不意に背後に気配を感じて、エリナは咄嗟《とっさ》に振り向いた。すると二人のすぐ側に、背の高い屈強な男が。
 エリナはカレンを背中の後ろに庇うと、妹は声にならない叫び声を上げて姉にしがみついた。
「誰!?」
 男は頭に、目だけが見える黒い覆面を被っていた。服も同じ色の、動きやすそうな軽装。
 いかにも怪しい男の登場に全身が泡立ち、極度の緊張から動悸息切れが激しくなって、頭がくらくらしてきたが、カレンを守れるのは自分しかいないという思いだけで、なんとかその場に立っていた。
 そんな二人の様子に、覆面の向こうで、男が小さく笑ったような気がした。
 エリナは彼を睨むだけで精一杯。
 すると男はおもむろに、腰に下げた剣を抜き払った。
「お前たちのような小娘を手にかけろとは、あの方も酷なことをおっしゃる」
「え……」
 『手にかける』?
 その意味を問い返そうとした時、男が剣の切っ先をエリナたちの方に向け、
「カレン王女はどっちだ?」
 と、幼い娘なら縮み上がってしまうような、低い声で問いかけてきた。
 その剣を持つ手の甲には、何かの模様をかたどったような痣《あざ》があった。
 しかし問われて、「はい、私です」と答えられるはずもなかった。剣を向けられた恐ろしさで、声が出ないからだ。
「どちらでもいいか」
 男は興味を失ったように言い放ち、剣を振り上げた。
「恨むなよ」
 彼はまるで、足元の邪魔な草を刈り取るように、何の躊躇《ためら》いもなく、むしろ嬉々として、二人の王女に向かって剣を振り下ろした。
 初夏の日の光にキラリと閃《ひらめ》いた、両刃の剣。
 エリナとカレン、二人の悲鳴が重なった。
 その途端、エリナは後ろから強く押されて、薔薇園の土の上に転がった。
「カレン?」
 振《ふ》り仰《あお》いで見た視界に映ったのは、雨のように散る、赤い花びらだった。

 長椅子に腰かけ、項垂《うなだ》れるエリナに、母である王妃が寄り添っている。母は娘を落ち着かせるように背中を撫でながら、言葉をかけ続けていた。
「命に別条はないというし、意識が戻るのを待ちましょう」
 そう言われ、エリナは涙で濡れた顔を上げた。
「でも、かあさま。カレンは……」
 自分一人が無事で、全身全霊をかけて守ろうと誓っていた妹が、なぜ意識を失い、ベッドに横たわっているのか。
 周囲に咲く薔薇の花びらよりも、赤に染まったカレン。
(私は、どうしてカレンを守れなかったの?)
 駆け付けた衛兵たちによって運ばれるカレンに付き添いながら、エリナの頭を駆け巡っていたのは、ただ一つ、その思いだけだった。
 

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