『籬の雪は愛に蕩けて』 著:猫宮乾 イラスト:稲垣のん 本体価格:300円 レーベル:ヘリアンサス文庫

【冒頭試し読み】

籬の雪は愛に蕩けて

 ここは第三吉原――旧東京府の日野市と多摩市の一部を大改造して造られた、ある種の歓楽街である。規模で言えば、嘗て存在した東京ドームおよそ七十個分だ。女衒《ぜげん》に買われて私がこの街に来てから、既に十八年の歳月が流れていて、私も今年で二十四歳である。来年で年季があける。
 戦争で用いられた兵器の影響で女児の出生率が下がり、男性の公的な性のはけ口として整備されたこの街は、歴史上の在りし日の吉原《よしわら》をモデルに、遊郭が立ち並んでいる。中でもお不動様が建つ新選組縁の地は、海外からのお客様の観光コースに入っているため、何かと江戸風だ。違うのは髪型くらいのものだろう。
 私はいつも思う。女性が少ないのだから、大切に大切に大切に扱って、数を増やして欲しいと。だが、現実は世知辛い。絶賛第三次世界大戦中の現在、女性の基本的なお仕事は家を守り子供産むことである。そこに求められるのは、処女性だという。
 しかし観光客が訪れる程度に世界大戦はゆったりしたものであり、無人ドローン同士の戦いだとも聞く。情報統制が激しいため、どこの国と戦っているかなどは全く分からないい。貧富の差よりも知識の差が激しいから、私のような下々の者には、難しいお話はあまり入ってこない。閨でお客様が零す愚痴の方が、新聞よりためになる程だ。新聞には、先週太平洋上空で、新関東第二空軍所属機の神鷹改《かみたかかい》が海洋無人ドローンを爆撃した程度にしか書いていなくて、そもそもドローンが何かいまいち分からない私には謎だ。
 なお、私にも大昔、売られてくる前は許嫁がいたはずだ。大抵の女子には許嫁がいるのだろう。私はそこで、非常に厳しい母に育てられた。私は偽物の母だと確信しながら、いつも出てくるもやしを、涙しながら食べていたように思う。弟は男の子だからなのか、いつも美味しそうなハンバーグを食べていた。女性が少ないのだから、私にハンバーグが出てきても良かったと思うが、そんな事はなかった。私は幼かったし、このお店に来てからの記憶ばかりが強いから、明確に思い出す事は出来ないのだけれど、貧しかった事は非常によく覚えている。
「――ああ、クソ」
 楼主様が舌打ちしたので、私は我に返った。楼主様は今年で御年七十歳……らしい。若々しく見えるから実年齢は不詳だ。焦げ茶色に染めた髪を後ろでまとめている。綺麗な簪が一種異様な迫力を放っているのだが、激昂しやすい楼主様の性格の方がインパクトがあると私は思う。元々は楼主様も私達と同じ遊女だったらしい。
 現在、全遊女が楼主様の前に集められている。月に一度発表される、第三吉原高級店番付の発表日だからである。私が働く西村屋《にしむらや》は、お不動様から見て西側区画で最も老舗の高級店だ。花魁制度が普及しているのだが、その花魁番付にも西村屋の娘達の名前がズラリと並んでいる。なお、私の名前が掲載されたことは一度もない。
「また東屋《あずまや》に負けた。これに関して、お前達は一体どう思う?」
 低い声で楼主様が口にする。そんな事を言われても困るのだ。
 東屋というのは、お不動様から見て東側の区画で一番繁盛している高級男娼店である。陰間《かげま》茶屋とは少し異なり、店子は男性だが、遊郭形態を取っている。詳しい制度を私は知らないが、東屋は西村屋の最大の好敵手である。
 こちらは女性のお店、あちらは男性のお店である。
そうであるにも関わらず、女性が激減して同性同士の恋愛も比較的珍しくない現在では、性別を問わず客は好きな相手を買っていく。しかしながら、その男性客の相手をするのは、本来ここに集められた女性だから、話はややこしい。男性は吉原の外にも転がっているのだ。だが女性は吉原を除いたら大切に育てられているから、病院で見かけるとか、共学の学校で見かけるとか、そのくらいしか目にすることはないだろうに――わざわざ吉原に来ても、女性ではなく男性が買われていく。
 昔は吉原出自の花魁と結婚すると店が繁盛するなんていう民間伝承も存在したらしいが、はっきり言って現在は、吉原出身の水商売経験者など結婚は絶望的だ。ごく一部が客と結婚するとか、店の若衆と恋に落ちる程度である。世間の男性は性欲処理は第三吉原でするので、結婚は諦めているらしい。そして結婚にこだわる人々は、処女性を重要視する。子供は、素性の知れない遊女の子供よりも、確かなお血筋で丁寧に育てられた子供を養子に貰う方が良いらしい。そもそも、女性が少なくなってから、『別段女性がいなくても……』という風潮まであるようだ。
 そうである以上、誇りを持って、吉原において決して男に負けずに、女性の素晴らしさを見せつけてやれ――というのが、西村屋の裏目標である。無論客には絶対に言えないが、西村屋にとって、男娼店の東屋に負けるなどということは、あってはならないことなのだ。
「いいかい? 今回の西村屋の順位は、四位。これがどういう事かもわかるね?」
 誰も答えなかった。私はチラリと視線を動かしてみる。すると、私同様下位の遊女は、皆沈黙を保っていたが、高位である松の籬《まがき》の遊女達は、心なしかひきつった笑顔を浮かべていた。楼主様が怖くて口にできないが、内心では皆が納得しているのだ。
「誰も答えられないのかい!」
 楼主様が声を張り上げる。すると、松の籬の遊女が嘆息してから口を開いた。
「だってねぇ」
「東屋は仕方ないですよねぇ」
「ねぇ」
 沈黙を保ったが、私もそう思う。
 なにせ『東屋』というのは通称であり、東と言ったらあの店だとみんながわかるほどに巨大なのだ。店舗の話ではない。影響力である。
 数多にひしめく男娼店も娼婦のお店も、基本的には名前を覚えてもらうことから開始するのだが、あのお店は、パンフレットにも載っているから、観光前からみんなが大体知っている。
 私がそう考えていると、松の籬の水仙《すいせん》姐さんが快活に笑った。
「無理なものは無理ってこともあるでしょう、無理を言わないでくださいませ!」
「……」
 今度は楼主様が沈黙した。楼主様も分かっているのだろう。
 続いて楼主様は、卓の上に遊郭番付を叩きつけた。視線を追いかけると、二位『末広屋《すえひろや》』と三位『高松屋《たかまつや》』という文字が見えた。どちらもこの西区画で、我が西村屋と一位争いをしている遊郭である。
「これをよく見な!」
 末広屋は老舗であり、西村屋同様第三吉原設立時から存在するそうだ。高松屋は逆に、一昨年出来たばかりの新興店である。だが、第三吉原では、半年位で潰れるお店が多いので、新しいお店は珍しくないし、その中では続いている方だ。勢いもある。末広屋は昔ながらの遊郭であるが、高松屋は俗に言うキャバクラである。高級クラブだ。
「ただお酒を注いでいるだけのお店に、あんた達は負けたんだよ!」
 楼主様が、バンと卓を叩いた。

【続きは製品版でお楽しみください】