銀杏の縁結び
『銀杏の縁結び』 著:犬井剛 イラスト:忍足あすか 本体価格:400円 レーベル:フリージア文庫

【冒頭試し読み】

目次

第一話 銀杏とセミ
第二話 銀杏と紅茶
第三話 銀杏と子ども
最終話 銀杏の縁結び

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### 第一話 銀杏とセミ
 
 山に面した団地の一番奥に、大きな銀杏の木がある。
 草刈りを怠っているようで、まわりには夏になって背が高くなった草が生い茂っている。
 目立たない場所にあるが、この山で一番大きな木だ。そういう自然界の中でも大きな存在は時として霊界と通ずることがある。
 神々しさは人間も感じ取ることができる。ご神木として祀られていた時期もあったようで、太い幹には紙の付いた綱が巻いてある。脇には小さな祠があり、壊れているが賽銭箱も置いてある。
 しかし、語り継がれていかなければ人の信仰は薄れていく。今では参拝者はほとんどいない。長い樹齢に伴って強くなった霊力を持て余し、銀杏は退屈していた。
 だが、そんな銀杏にも楽しみが無いわけではない。
「む……あの娘が来たのう」
 銀杏じいさんは見栄え良くするために、枝いっぱいに付けた薄緑の葉を広げた。
 いつも柴犬の散歩にやって来る娘は、その枝を見上げる。
「ねぇハナマル、銀杏の木はいつ黄色くなるんだろうね。私の髪はハナマルと同じ色に変わったよ」
 彼女の黒くて長かった髪は、短く切って金色に近い茶髪になっていた。
 銀杏じいさんは意外だった。外見を気にするような女の子だとは思わなかったのだ。
 聞かれた張本人のハナマルはどこ吹く風。不敬にも銀杏じいさんに向かって片足を上げて小便を始める。罰が下ればいいと思うが、ハナマルのおかげで彼女の姿を見ることができるのだから許している。
 ここ最近、彼女の表情はいきいきとしている。
「あの娘、恋をしておるな」
 たまにハナマルに語り掛けたりするが、銀杏じいさんに願い事をするわけではない。だから、確信はないのだが、銀杏じいさんは自信があった。
 銀杏じいさんの専門は、縁結びだったから。
 銀杏じいさんの周りをぐるりと歩いたハナマルを連れて、彼女は帰っていく。その足取りさえも軽やかに見える。
「若い者が恋愛をしておるのを見ると、わしも縁結びをしとうなったわい」
 銀杏がそう思っているところに、シオカラトンボが飛んできて枝先に止まった。
 トンボは人間のように話すことはできないが、霊力を通じて銀杏と意志疎通はできる。
「やあ銀杏じいさん。元気にしてるかい?」
「ホホホ。まだまだ元気じゃよ。この枝いっぱいについている葉を見ろ。日の光を漏らすことなく受けるため、今年もたくさん葉をつけたんだ」
 銀杏の葉は若々しい緑色だ。その葉の青々している葉は周りの若木よりも力強い。
「それよりもシオカラトンボよ。ちょうどいいところに来た。お前に一つ頼みがあるんじゃ」
「俺に頼みか。いいぜ。俺がこうして無事にいられるのも銀杏じいさんの加護のおかげだからな。なんでも言ってくれ」
 銀杏じいさんと親しく話すシオカラトンボは冬を越している。銀杏じいさんが特別に働きかけたわけではないが、近くにいたから自然に干渉していたのかもしれない。
 少なくともシオカラトンボはそう信じている。銀杏じいさんもわざわざ否定したりはしない。
「見ての通りわしは衰えるどころか、肉的にも霊的にも充実し、神力がみなぎっておる。だが、参拝者がいない今、この力のやり場がないんじゃ。だから、その自慢の羽で遠くまで飛んでいき、参拝者をここまで連れてきてはくれんかのう?」
「ふ~ん……参拝者ね。わかった。上手くいくか分かんないけど、適当な奴を見繕っておくよ。じゃあ、早速行ってみるよ」
「うむ。頼んだぞ」
 飛び立つシオカラトンボに銀杏はそよ風を送る。その風に乗ったシオカラトンボはあっという間に見えなくなってしまった。
 銀杏は満足して眠りに入る。もう夏の終わりだから、秋になるまで長い眠りに就くつもりだった。
 しかし、今年の銀杏じいさんの秋は遠い。自分で願ったことではあるが、なかなか忙しい日々を送ることになる。

***

 みーんみんみんみん!
「なんじゃ……うるさいのう」
 鎮まっていた銀杏じいさんの意識が、けたたましい音に揺り動かされ目覚めてしまった。
 銀杏じいさんの太い幹にしがみついているのは、一生懸命に鳴くアブラゼミだった。
 ……なんだこのセミは。ワシに許可なく、みんみんみんみんと騒ぎ立てて。
 文句を言って追い払おうとしたとき、銀杏じいさんの霊感を通じて声が届いた。
「銀杏じいさん。やっとお目覚めか」
 聞き慣れたシオカラトンボの声だった。
 肉感で聞いているセミの声がどれだけ大きくても、霊感はまったく別の感覚だから、シオカラトンボの声は透明感さえ帯びながら銀杏じいさんに伝わった。
「……寝坊助のように言っておるが、まだ数時間しか眠っておらんぞ。まだ太陽が真上にある。シオカラトンボよ、ワシの幹で騒ぎ立てておるセミ。すまんが、よそへやってくれんか。あまりにもうるさくて眠ってられん」
「それはできないんだ銀杏じいさん。そのセミをよそへ連れていけるんなら、最初から俺はここにはいねぇんだ。早く用件を伝えて、静かなため池に飛んで行きたかったんだけどな。銀杏じいさんは寝てるし、こいつは見境なく歌い始めちまう。機嫌を損ねるから、起きるまで待てって言ってんのに……」
「シオカラトンボよ。お前はワシに用事があって来たのか」
「おいおい……銀杏じいさんに言われた通り、参拝者を連れて来たのに……その寝ぼけ様にはあきれるぜ」
 寝起きだったし苛立っていたから、寝る前に自分が言っていたことを銀杏は忘れていた。
 いや、完全に忘れていたのではない。想像していた参拝者の姿とはかけ離れているから、このセミと関連づけることができなかったのだ。
 セミの鳴き声は、なにかに追われて逃げているような悲痛な叫びだ。
 人の願いを……もっと具体的に言えば、あの金色に近い茶色に髪を染めた少女の願いを叶えたかったけれど、肩慣らしにはこれぐらいがちょうどいいかもしれない。
 シオカラトンボはお喋りだ。あんなにセミの悪態をついているが、どうせここへ連れて来る途中で事情を聞いていることだろう。
 銀杏じいさんはシオカラトンボに話を促した。早くその場を離れたいのだろう。シオカラトンボは早口でまくし立てる。

***

「銀杏じいさんも知ってると思うが、セミは長く土の中にいる。成虫でいられる時間は一週間なのに、幼虫のまま七年も土の中だ。ずいぶん長いだろう?」
「そうかの。わしは侍がおった頃から生きておるから、長いとは思わんがの」
「銀杏じいさんの寿命と比べられたんじゃ勝てないさ。俺やセミは虫だ。一年だって、俺たちにとってはずいぶんと長い」
 短い期間を一生の時のように生きる虫たちを、銀杏じいさんはうらやましくことがある。圧縮された体験はきっと劇的だろう。それが一週間ともなればなおさらだ。
「銀杏じいさんの幹にしがみついているセミはのんびり屋でね。七年経っても土の中から出ずに、さらに一年長く土の中で暮らしてた。八年目になってようやく地上に出てきて羽化したんだ。それも夏の終わりのこの時期にな」
「ふむ……このけたたましい鳴き方を聞いていると、のんびりした性格とは思えんがのう」
「こういうのんびりしてるやつに限って、追い込まれたときに焦りだすのさ。いざ歌い始めても、勢いのいい他のオスゼミのように情熱的には歌えない。無理やり声を出そうとしても、怒鳴り声にも似た叫びになるだけで、とても女性に響くような歌にはならない」
「分かっておるならやめさせればよい。わしも聞くに堪えん」
「他の木にもそう言われてんだよ。どこの木で歌っても文句を言われて追い払われちまう。そうなると、コンクリートの壁で歌う他にないんだ」
「歌う場所があるのなら問題ない。そこでやってくれ。気分が悪いからわしは眠りたい」
 話を打ち切ろうとした銀杏じいさんに抗議をするように、シオカラトンボはぐるぐると数回宙返りをした。
「コンクリートで歌ったってメスは来ないんだ。いい歌を聴いたその場所で樹液を吸うことが、セミにとっての幸福なんだ。それができないコンクリートで歌ったって、モテるはずがねぇ」
「じゃあ、わしにどうしろと言うんじゃ。セミの縁結びなんぞやったことはないぞ」
「俺もそこまで面倒見てくれとは言わねぇよ。ただ、歌が上手くなるまで、ここでこいつに歌わせてやっちゃくれないか?」
 銀杏じいさんは身をよじり、ざわざわと枝を揺らした。
「なんじゃシオカラトンボ。さっきは偉そうに参拝者を連れてきたと言っておったのに。話が違う」
「不機嫌になるなよ銀杏じいさん。歌う場所を与えた結果、運良くメスとくっついたなら、縁結びをしたのと同じことだろう?」
「そうかもしれんがのう……」
「気が進まないのは分かるよ。でも、ほかに頼める木はないんだ。銀杏じいさんにも断られたら、このセミは冷たいコンクリートの壁で一人の秋を迎えないといけない。……いや、秋は迎えられないか。セミは寿命が短いからな。こいつの寿命もあとわずかなはずだ」
 また新しい参拝者を探してくる、と言ってシオカラトンボは飛んでいった。

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