『今様あやかし恋奇譚 』 著:忍足あすか イラスト:稲垣のん 価格:400円 レーベル:フリージア文庫

【冒頭試し読み】

目次

ワーカホリックの密かにして偉大なる野望
それは毎日テーブルに
きみなしではいられない
初恋アシンメトリー

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ワーカホリックの密かにして偉大なる野望

 葬式の日に雨が降ると、寂しさが増す。虚しくなる。哀しみがしをしをと染み込んでくる。
 春の雨はなおさらだった。
 ――違うかもしれない。
 今まさにその状態だから、そう思ってしまうだけなのかもしれなかった。晴れたら晴れたで息苦しいだろうし、夏なら世界が眩しいぶん孤独感に苛まれるだろう。豊かな秋なら現実味に乏しくて、寒さに閉じ込められる冬ならつらさも一入《ひとしお》に違いない。
 つまり、いつだって哀しいのだ。葬式は。
 寂しいのだ。永遠の別離は。
 結川《ゆいかわ》了一《りょういち》は、ある日突然この世からいなくなってしまった友人の葬儀に参列したところだった。
空は重く垂れて、真っ昼間にもかかわらず夕方のような暗さだ。大粒の雨が黒い傘をばたばた叩いている。春先の雨は冷たくて、息が白くなる。
了一は立派な門を出て、何かに惹かれたようにふり向いた。弔問客は絶えない。
高校で知り合い、大学も同じで、就職先は異なったけれど、よく連れ立って焼鳥屋に行った。田舎だけにお互い車なものだから、酒の席になったことは少ない。
「……弱かったなあ」
 梅酒一杯で真っ赤になり、へろへろとよろめいた肩を支えたことが思い出される。あれはいつだっただろう。飲んだということは、たぶんどちらかの部屋に泊まったのだ。
 まさか、こんなに早く。
 こんなに早く別れが来るなんて。
 ――まだ二十代じゃないか。
 人生これからじゃないか。
 夢とか希望とか目標とか野望とか、色々めいっぱい抱えて邁進する毎日が続くはずじゃないか。
 百歳を生きるひとがいる一方で、生まれるのを待たずに失われる命がある。
 それを思うと、差し引きでいけば公平なのかもしれない。平等と公平は、必ずしも同時に満たされるとは限らないのだ。
 年上の人間が死ねば「満足だっただろうか」と思って心細くなり、同じ年代のものが死ねば「無念だっただろう」とやるせなくなる。自分よりも年下のものが死ねば「ひとつだけでもいい、何か叶っただろうか」とせつなくなる。
 誰が死んでも、残されたものは後悔に似た感情を抱く。
 ――ん?
 門の脇、提灯の下に若い女性が傘も差さずに立っていた。
喪服というよりは、リクルートスーツに見える格好だ。黒のパンツスーツ。ヒールは如何にも「たくさん歩きます」といわんばかりの低さで、黒髪は後ろで一本に結っているらしい。やはり就活生に見える。少し遠いが、彼女の顔立ちが涼しいのは見て取れた。
――葬儀屋か?
葬式に来てすっきり涼しい顔をしているなんて、ビジネスライクに割り切っている葬儀屋くらいのものだろう。普通は大なり小なり落ち込んだ顔をしている。泣き腫らして真っ赤になった瞼なら気にもならないが、彼女の目もとは――
――なんかやけに蒼白いな。
気のせいだろうか。ものすごく顔色が悪い。具合が悪くなってしまったのだろうか。場所と場合が場所と場合なだけに、助けを求めにくいのかもしれない。
それにしたって中に入ればいいのに。わざわざ門の脇で雨に打たれていることはない。
了一は彼女の隣を行き来するひとびとを観察したが、誰も彼女を気に留めるものはいなかった。
このまま見過ごしてしまえるほどの薄情さは持ち合わせていない。了一は踵を返して、彼女に傘を差しかけた。
「あの、失礼ですが、具合でも――」
 ――あ、……れ?
 女性が顔を上げた。やはり蒼白い。瓜実顔《うりざねがお》というのだろうか、額の秀でたきれいなかたちをしている。
「…………あ。…………はい…………」
 蚊の鳴くような声が返ってきた。
 了一を見つめて黒い睫をしぱしぱさせている彼女は、雨の中立っているにもかかわらず、一切濡れていなかった。
 申し分なく人間ではない。
 まあ、よくあることだ。
「いや、あの――」
 風邪をひきますよ、傘をお持ちでないのでしたら、これをお使いください。
 と、言う予定だったのだが、彼女にはどう考えても必要ない。しかし、声をかけてしまった。これからどう話を持っていこう。了一としてはここでさよならしたいし、これまでの経験則からするに、深く関わらない方がいいのはわかっているのだが。
 そのとき、家の裏手の方から微かなエンジン音が聞こえた。揺らめく影が上方を向いて流れ出る。了一は目を凝らした。
 ――車……?
 タクシーに見えた。ボディに黄色と赤のラインが入っている。頭には行灯。遠すぎて文字は読めない。
それはいい、まだいい。
 何故燃え盛っていて空を飛ぶのか。
「やだ、わたし……」
 漏れ聞こえた声に視線を落とす。そういえば女性と対峙しているのだった。あの妙な車がなんなのかはわからないが、眼前の女性も大概怪しい。
女性がくちもとを両手で覆う。おどおどと挙動不審になりはじめた。
 ――あ、結構若い?
 突っ立っていたときはもう少し年齢が上に見えたのだが、こうして間近にしてみれば、齢《とし》は了一と同じか、一、二歳下に感じられる。
「す、すみません」
「いえ、謝られるほどのことは――」
 何もしていませんし、されていません。
 続けようと思ったら、彼女はいきなり、
 ――ぼろっ。
 と涙を零した。
「えっ」
「す、すみませ……わたし……わたし……すみません……」
 言いながらも、涙は止まらない。雨に劣らない大粒の涙が次々に頬を伝い落ちていく。
了一は彼女に休憩を提案することにした。もちろん、傍から見て不審がられないように、何気ないふうを装って声だけを女性に向ける。声を落とせば雨に紛れて聞こえないはずだ。誰もこちらを気にしていない。
「ちょっと落ち着ける場所に行きましょう。ねっ、それがいいですよ。このままここにいたって埒があきません。このお宅に何かご用ですか?」
 女性は少し黙った。涙は引っ込んだらしい。了一のあっけらかんとした誘いに泣く気が削がれたのかもしれなかった。女性は、
「いえ。仕事は一段落しました。とりあえず今日することは何もありません」
 と、か細い声で答えた。
「それならいいでしょう、何もこんな雨に濡れてなくたって」
 濡れていないのだが。
「近くの公園に行きませんか。屋根があるんです。四阿《あずまや》っていうんですか、あれがあります。そこなら落ち着けますよ。ほぼ絶対誰も来ません」
 そうなのだ。あの公園には、ほぼ絶対に誰も来ない。特にこんな雨の日と、夜は。
 女性はちょっとまごついていた。おかしなことはされないだろうし、逃げられる自信もあり余るくらいにあるが、ついていってもいいものか。何せ、姿が見えるだけでなく、会話まで可能なほどの人間なのだ。
 了一はポケットから黒いハンカチを引っ張り出した。
「美人の泣き顔は心臓に悪いんです。さっきからばくばくいってます。助けるつもりでお願いします」
 女性は蒼白い手でぎこちなくハンカチを受け取った。涙を拭うわけでもなく、ハンカチをじっと見つめている。まるで、もらったはいいものの何に使うのかわからずにいる子どもみたいだ。
 女性は顔を上げて、「はい」と小さな声で了一に応えた。

 予想どおり、そして了一が望んだとおりに、雨の公園はがらんとしていた。子どもたちにも半ば見捨てられたような寂れた公園なのだ。遊具は一応あるが、まさに『一応』で、どれも古びて錆が浮いている。ペンキなどほとんど剥げていた。
 雨は弱まっていた。糸のような、銀の滴の連なりがきらきらと落ちている。
「あ。そこ、水溜まり気をつけてくださいね」
「はい。ありがとうございます」
 ふたりで大きな水溜まりを越え、四阿に入った。了一は傘を畳み、少し振って雨粒を払う。
 四阿は古びていたが、雨漏りはしていなかった。ベンチは僅かも濡れていない。了一は女性に着席を勧めると、自身はポケットの中を漁った。
「飲み物買ってきますよ。コーヒーと紅茶と緑茶とココアとコーンポタージュとオレンジジュースと、あと何があったかな、お汁粉もあった気がします。何がいいですか?」
 女性はきょとんとして、それから微かに笑った。
「こういうときは、無言でコーヒーを渡すものなんでしょう? 人間の方がおっしゃってました」
「そんなことありませんよ。もしかしたらコーヒー飲めないひとかもしれないじゃありませんか。ドラマとか観てて思うんですけど、社会人はコーヒーを過信しすぎです」
 了一が大真面目に言い放ったら、女性はおかしそうに「そうですね」と笑った。
 はじめて見た明るい笑顔だった。
 こうして見ると、やはり若い。血色がよければ雰囲気は華やぐだろう。
「では、コーンポタージュをお願いします」
「わかりました」
「あの、お金は」
「奢ります。こういうのはドラマどおりでいいんです」
 了一は勝手に納得した様子を見せて、畳んだばかりの傘をもう一度開いた。

 コーンポタージュを手渡して、了一は少し迷ったものの、結局ひとひとり分間隔を空けて彼女の隣に腰かけた。
あたたかい緑茶のペットボトルの蓋を開ける。女性はコーンポタージュの缶を膝の上に乗せて丁寧に礼を述べた。
「申し遅れました。わたし、こういうものです」
 すっと名刺を差し出される。
「や、ご丁寧にどうも――」
 名刺を受け取って、印字を見た了一はちょっと首を傾げてみた。主人が何を言っているのか聞こうとしたとき、犬は首を傾げて耳の向きを変えることで、よりよく音を拾おうとする、と何かで読んだことがあるからだ。
 了一は犬ではないし、さらにいえば名刺は音の情報ではないので、もちろん適用されない。
「これは――なんて読むんですか?」
 名刺には、
 ――閻魔庁《えんまちょう》 捜攫課 艶 Tsuya
 とプリントされていた。
 艶《つや》はぺこりと頭を下げた。
「捜攫《そうかく》と読みます。この春からこちらに配属されました。清沼《きよぬま》、茜町《あかねちょう》、小辻《こづち》を担当しています」
「は、はあ。そうですか。えっと――俺は名刺持ってなくて、すみません」
 了一は自動車部品の下請け工場で働いているのだ。しかも今はまだ下っ端もいいところだから、名刺が必要になったことはなかった。
「名前は結川了一です。仕事は自動車部品をつくってます」
 ぱあっと艶の顔が輝いた。ぱちぱちと手を打つ。
「すごいですね! 自動車って、てのひらに乗るような小さな部品をいっぱい組み合わせて、やっと走るようになるんでしょう?」
「ああ、まあそうですね。うん、そうです。でかい部品もありますけど。俺がつくってるのは小さいやつです」
「魔法の手ですね! 触らせていただいてもかまいませんか?」
「えっ。は、はい。どうぞ、こんな手でよろしければ」
「ありがとうございます!」
 手を差し出したら、ぎゅっと両手で握られた。細い手は蒼白く、冷たい。まさか死んだ身体とかだったりするのだろうか。
「あの……その、捜攫課って、具体的に何をするお仕事なんですか?」
 ――俺が知らないだけか?
 はじめて聞く言葉だが、実は常識の範囲内の言葉なのだろうか。だとしたら恥ずかしい。閻魔庁といい、課といい、なんだか企業のようなのだ。だから余計に羞恥心がふくらんでくる。
艶は「そうですね」と少し思案顔をした。
「課の通称が火車《かしゃ》というとわかりやすいかと」
「すみませんわかりません」
――これはあれか、ほんとに俺が無知なだけか?
艶は了一の手を握ったまま、「火車はご存じですか?」と笑顔で問うてきた。もちろん否定する。
「妖《あやかし》の名前です。燃え盛る車の妖で、牽いているのは魍魎《もうりょう》とも猫ともいわれています」
「それって、悪いことするんですか?」
「人間からすれば悪いことでしょうね。屍《しかばね》を攫います」
「は……」
 艶はけろりとしているが。
 もしかして、
「あのタクシー……」
 思わず零した言葉を聞き取って、艶が頷く。
「はい。捜攫課が火車と呼ばれる所以《ゆえん》のひとつです。燃えていたでしょう?」
 屍を攫う。確かに人間からすれば悪いことだ。歓迎できる存在ではない。
「あの」
「はい?」
 艶は笑顔で応じてくれた。
 ――訊きづらい。
 でも。
 友人の葬式に。
 門の前に。
 立っていたなんて。
 燃え盛るタクシーが。火車が。
 屍を攫う妖が飛び去ったなんて。
「もしかして、田畑《たばた》のところにいたのって、こ――」
 ごく、と喉が動く。
 もしも肯定されたら、自分は艶に手を上げてしまわないだろうか。罵詈雑言を浴びせてしまわないだろうか。
 大切な友人なのだ。
 その彼が死んだのだ。
「――殺したんですか。田畑を」
 するり、と艶が了一の手を離した。蒼白い顔が愕然としている。
「もしそうなら――」
 ぐっと拳を握る。了一は感情を押し込められるよう、心の準備をした。たとえどんな答えが返ってきても、艶としてはただ仕事をしただけなのだから。
 ところが、艶は「いいえ」と否定した。
「申し訳ありません。わたしの説明が足りませんでしたね。先ほど申し上げましたとおり、火車というのは、わたしども捜攫課の通称です。火車という妖は独立して別にいます。わたしどもの仕事内容が火車に通じるものがあるというだけで、何も誰も殺したりはしません。そもそも、本家本元の火車も、自身が人間を殺すようなことはしません。あくまでも屍――死んだ身体を攫うだけです」
 は、と息をつく。
 鼓動が痛いほど早かった。
「そうなんですか」
 艶が頷く。
「わたしたちは、そうですね――端的に申し上げますと、攫いにまいります」
「さ、攫う?」
 穏やかでない単語にどきりとする。艶から受けた説明といい、なんだか物騒な課のような気がしてきた。
「もしかして、死神ですか?」
「いいえ。死神課は別にあります。こちらは『お迎えに上がる』というのが仕事内容です。一度迷ったら道を探すのは困難ですからね。心残りがあるような場合、ご意見ご相談もお受けしております」
 力が抜けた。首筋にじっとりと汗をかいている。了一は気づかれないように、すっと手で拭った。
 一度迷ったら道を探すのが難しいから案内する。心残りがあれば話も聞いてくれる。企業かと思ったが、なんとなく役場のような気がしてきた。
「攫うっていうのは……」
「現世に強く執着していらっしゃる方を『強制的に連れていく』のがわたしども捜攫課の仕事になります。逃げ出す方もいらっしゃいますので、その場合は草の根分けても捜し出します」
 なるほど、それで『捜』で『攫』なわけだ。
「じゃあ、やっぱり幽霊とかっているんですか?」
 迷うだの逃げるだのという言葉があるのなら、幽霊くらいいるだろう。
 艶はようやくコーンポタージュをぱきっと開けた。
「幽霊というのは、こちら側からすると定義が曖昧な言葉ですので使われておりません。ですので、お答えいたしかねます」
「別の言葉だとどんなですか? いつも使ってる言葉って」
「そうですねえ……」
 ひとくちコーンポタージュを飲む。空はまだ暗い。今はもう暮れかけているのだろう。艶はどう過ごすのだろうか。
 ――寮があったりして。
 名刺を渡されたのだ。今さらその程度では驚かない。
「魂《みたま》というのが多いかと。便宜上霊魂と呼ぶ場合もありますが、基本的には魂ですね。一定の条件を満たした場合は御霊《ごりょう》と呼んで区別することもあります」
 了一は緑茶を飲みきると、きちんと蓋をした。ごみはお持ち帰りだ。この公園に分別できるごみ箱などない。
「あの……」
 訊いてもいいことだろうか。
「はい」
「守秘義務だったら諦めます。質問するだけしていいですか?」
 艶は微笑んだ。
「どうぞ」
「田畑の死因って、ほんとにくも膜下出血ですか?」
 気になっていたのだ。ずっと。
 了一は、営業で働く友人を見ていて、自分を重ねた。職業の種類はまるで違うけれど、通じるものが――ふたりには通じるものがあったから。
 そして、了一は彼が亡くなった今もまだ、その『通じるもの』を持っている。
「すみません、こんなこと訊いて。でも、ご家族の方にお聞きするわけにはいきませんし。――田畑のほんとの死因は、……過労、とか……」
 艶に見つめられている。
 どう思われているだろう。
 彼女は答えをくれるだろうか。
「自殺じゃありませんか?」
 ぎゅっと目を瞑った。
 怖かった。
 艶の冷たい手が、そっと手の甲に触れた。
 恐る恐る目を開く。艶の静かな瞳があった。微笑んでいる。
 安堵した。
「ご安心ください。田畑様の死因はくも膜下出血です。純粋な、という言い方は人間のあなたにとっては適切な表現ではないかもしれませんが、とにかく結川様がご心配なさっているような原因はありません」
 長い溜息が漏れた。
「田畑様はご友人のことをとても案じていらっしゃいました。『俺はこのまま死ぬわけにはいかないんだ、俺が死んだら死にそうになるやつがいるんだ』とおっしゃって、それで――どうしても動いてくださらなかったので、死神課の要請を受けて本日こちらに。ご友人というのは、結川様のことだったんですね」
「俺のこと、ですか?」
「はい。死神課のものから伝え聞いたところによると、なんでも、『働いていないと生きていてはいけない気がする病《びょう》』をお持ちの方だとか」

 

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