『SNS』 著:高槻弘壱 イラスト:忍足あすか 本体価格:400円 レーベル:ガローファノ文庫

【冒頭試し読み】

 一体、いつから俺の人生の歯車は狂ってしまったのだろう。学校の成績は良い方ではなかった。スポーツも得意ではなかった。小学校、中学校では友達と呼べる人間が一人か二人だった。クラスの中でも目立つことなく、いや、むしろ同じクラスの人間からは小馬鹿にされていた気がする。
 高校には友達と呼べる人間が一人も居なかった。高校は男女共学で、もてる奴は彼女まで作っていた。羨ましかった。男子生徒の関心は皆女子生徒に向いていた。俺は休み時間には誰とも喋ることもなく、いつもスマートフォンでブログサイトを眺めていた。いろんな人のブログを読んだ。何が言いたいのかさっぱりわからない内容の難しいものから、頭の悪そうな女子大生や女子高生のブログまで、飽きることはなかった。そうしていれば休み時間は潰れた。自分ではブログを書こうとは思わなかった。作文が苦手だったし、日記なんてつけたことは過去に一度もない。そんな文章力では周りのみんな、大げさに言えば読者に馬鹿にされるのがおちだ。それでも他人のブログから目を背けることが出来なかった。話し相手の居ない俺にとってはスマートフォンの画面の文字だけが会話の相手だった。
 学校から家に帰っても特にしたいことは無かった。父はサラリーマン、母はパートで働いていた。兄弟が居ないので家に帰っても話し相手は居ない。だから家に帰ってからもパソコンの画面をずっと眺めて過ごしていた。インターネットでブログを覗くことが唯一の気休めだ。面白そうなブログが見つからない時にはテレビで時間を潰した。
 夕方六時過ぎに母はパートを終えて帰って来る。母の仕事はスーパーでのレジ打ちだ。父の月給だけではまだ家のローンの返済が苦しいらしい。母は家に帰って来ると夕飯の支度を始める。と言っても、我が家の献立は出来合いの総菜をレンジで温めて終わりだ。一週間、毎日違う総菜がテーブルの上に並ぶ。だが、次の週にも曜日によって前の週と同じものが並ぶのだ。月曜はハンバーグ、火曜は八宝菜、水曜は刺身と野菜の煮物、木曜は豚の角煮、金曜は餃子としゅうまい、土曜は豚の生姜焼き。日曜だけは特別にスーパーの総菜とは違うものがテーブルの上に並んだ。献立が決まってしまった原因は母がパートを始めたことにあると俺は思っていた。父と母は俺に食べたいものを六種類挙げろと言ってきたことがあった。俺は自分の好きな物を紙に書いて手渡した。すると、母がスーパーでパートを始めるからと、俺にも家事手伝いの協力を要請して来た。素直に二人の言うことに従い、洗濯ものの取り込みを欠かさずにしていた。しばらく経ってから俺の好きなものが中心に食卓に並んでいることに気が付いた。
 父は仕事の帰りに会社の人と呑んでくることが多く、家では殆ど夕飯は食べなかった。だから母と毎晩規則正しく二人きりで食事をした。俺から母に話しかけることは特に無く、大抵は母が学校の勉強はどうなっているの、とか、友達とは上手くやっているのと聞いてきた。いつも同じ質問が繰り返されるので一種の拷問に等しかった。勉強の方はともかく、友達に関する質問がうっとうしかった。それでも架空の友人を作り上げて、「今日もクラスの中田って奴と学校の帰りに一緒に本屋に寄って来たよ」と嘘をついていた。
 勉強は中間試験前と期末試験前にしかしなかった。自分の成績には興味が持てなかった。赤点はまずいからそれだけは避けるようにと試験のときだけは少しは勉強した。だが、思った程良い点数はいつも取れなかった。高校の偏差値自体がたいしたこともなく、大学に行くにしても誰も知らないような大学にしか卒業生は進学していなかった。その程度の高校で成績が悪ければ勉強に興味を持つのも難しいのがわかって貰えるだろうか。受験生の数が減り、大学は増えて、選ばなければ大学にだって進学が出来ることは俺にもわかっていた。だが、勉強したいことが見つからなかった。大学で何を学んで、どこに就職するかなど、俺にとっては気の遠くなるような考えだった。
 高校を卒業後、すぐに就職した。大学への進学も最後まで考えなくはなかった。バブルが崩壊して、就職氷河期というのがやって来て、大学生ですら容易に就職できない時代があったことを進路指導で担任の教師からうるさいほど言われていた。けれど、どう贔屓目に見ても、俺の学力では四流の大学に入るのがやっとだ。それならば、まだ高校卒業と同時に就職してしまった方が良いのだと思った。給料は安いかもしれないが、早くから社会で働きたい。そして、自分の自由になる金が貰いたい。大学に行けば入学金や授業料だって掛かる。浪人して少しでも良い大学に入りたいと思えばなおさら余計な金が掛かる。それだったら就職して金を稼ぐ方に回ればいい。
 担任教師の紹介で都内にある物流会社に無事に就職した。倉庫の整理が仕事だ。毎日、朝九時から夕方五時まで書類の入った重たい段ボールを運んでトラックに積んでいく。配達されるエリアによって段ボールを仕分けし、間違わずにエリアごとのトラックに積む。仕事を始めた当初は上司にミスが許されない難しい仕事だと口がすっぱくなるほどしつこく管理されたが、すぐに仕事のコツを掴んだ。そして、自分の仕事は小学生でも中学生でも誰にでも出来る単純肉体労働だと理解した。
 給料は手取りで十七万。毎日、数えきれないほどの段ボールを運んで身体がくたくたになった。それでも貰える給料はたった十七万だ。割に合わないと思った。もっと良い仕事がしたいとも思った。頭の悪い俺でも、頭脳労働がしたい。事務でも経理でも良い。自分にだってもっと出来る仕事があるはずだ。
 仕事内容に何の期待も抱かなくなった俺の興味は性的なものへと移っていった。これまで学校では女の子からもてずじまいだった。けれど、今は違う。今は自分の自由になる金だってある。俺の目は風俗に向けられた。女が欲しい。けれど、会社には不細工なおばさんばかりで、一緒に入社したたった一人の女の子には既に彼氏が存在した。その子は俺のことなど全く相手にしてくれなかった。それどころか「しつこくすると彼氏にチクるよ。あんた、あたしの彼氏にボコボコに殴られるけど良いの?」と言い捨てられた。
 スマホで調べると、ソープランドのサイトがいくつも見つかった。店で働いている女の子の顔写真とスリーサイズが表記されていた。俺は念入りに自分好みの女の子を探した。歳が若くて、可愛い感じで胸がでかくて、痩せていてスタイルの良さそうな子を探し続けた。そして、店のサービス内容を比較した。サービスを受けられる時間と金額を丹念に調べた。入浴料だけが表示されている店と総額でいくらかを表示している店があった。入浴料がいくらと言う店は止めておくことにした。オプションで追加料金を取られたら総額でいくらになるのか見当もつかない。それよりは総額で表示されている店の中で自分の希望の女の子が居て、値段が安い店にした。
 何と言っても初体験だ。出来る限り可愛い女の子とセックスがしたい。昼休みにはいつもスマホでソープランドのサイト巡りをした。調べ上げた結果、吉原にある店に決めた。女の子の出勤状況などもきちんと確認し、会社が休みである土曜日に俺の初体験は決まった。
 朝九時に店に電話した。
「はい、ジョイクラブです」と、はきはきとした男の声がした。
「済みません。今日はさやかさんは出勤されますか?」
「さやかですか。はい、今日は出てますよ」
「じゃあ、さやかさんでお願いしたいんですけど」
「コースは六十分と八十分がありますが」
「じゃあ、六十分でお願いします」
「お客様のお名前は?」
「佐々木です」
「鴬谷の駅から送迎させていただきますので、では鴬谷の駅に着かれましたら、またご連絡ください」
 電話を切ると、胸が高鳴った。ついに女とセックスすることが出来る。これで、一人前の男になれるんだ。嬉しさと期待で頭は一杯になった。
 母には買い物に新宿まで出かけてくると嘘をつき、鴬谷へと向かった。駅を降りて店に再び電話してみると送迎車との待ち合わせ場所を指定された。何だか秘密めいている。だが、別に悪いことをしている訳じゃない。俺は立派な客だ。年齢だってもう十九歳だから問題ない。
 五分から十分で車はやって来ると言われたが、その待ち時間が異様に長く感じられた。大通りからちょっと入った路地で俺は車の到着を待った。途中のコンビニで買ったペットボトルのコーヒーも飲み尽してしまった。何もすることもなく歩道に立ちつくしていると、そこへようやく送迎車がやって来た。
 車から男の人が降りて来て「佐々木さんですか?」と尋ねてきた。「はい、佐々木です」と答えると、車のドアを開けてもらった。
 車に乗って、五分くらいで吉原のソープランド街に到着した。派手な看板を掲げた店が軒を連ねている。その街の一角の雰囲気にすっかり飲み込まれた。これまでにも新宿や池袋などでそういった風俗街を見たことはあったが、ソープランドがこれほどたくさん隣接しているのを見るのは生まれて初めてだった。看板を眺めていたら、スマホサイトで調べていた他の店も見つけた。店の大きさはどこも同じくらいだ。値段の違いは女の子のレベルの違いなのか、それともサービス内容の違いなのか。ジョイクラブの前に車が止まると、男の丁寧な接客で店の中に案内された。そして、受付で金を支払うと待合室に通された。
 待合室には年齢はバラバラだったが、数人の客が居た。どの男も女にもてそうな雰囲気はなかった。40歳くらいの男から中には60歳くらいの爺さんも居た。何もすることがなく、待合室に備え付けられているテレビに見入った。他の客は週刊誌やスポーツ新聞を読んでいた。部屋を仕切っていたカーテンが開けられ、
「それではさやかご指名の佐々木さま、準備ができましたので。お時間までごゆっくりお楽しみください」という受付に居た男の声に、俺はソファーから立ちあがった。するとスマホサイトで見たイメージとはちょっと違うさやかが廊下で待っていた。
「さやかです。はじめまして」と言いながら俺の手を握って来た。さやかに案内されるままに店の二階への階段を上った。胸が高鳴るのが自分でもわかる。ああ、これでやっと一人前の男になれる。
 部屋に通されてみると、俺の期待とは裏腹だった。
 

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